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驚くことはない

説教「驚くことはない」

岸敬雄伝道師

詩編 88編9~13節 マルコによる福音書 16章1~13節

 札幌中央教会に着任して3度目のイースター礼拝になります。札幌中央教会に着任して最初の礼拝がイースター礼拝でした。昨年は少し慣れてきたかと思っておりましたが、今年のイースター礼拝は、新型コロナウイルスの影響下で、この様な形での礼拝に成ろうとは昨年は思ってもいませんでした。それはおそらく皆様も同じなのではないでしょうか。しかし、歴史をかえしてみると、初めてのイースターの朝は決して私たちが、クリスマスやペンテコステのように、キリスト教の3大祝祭と言われるような晴れやかなものでも、皆で喜び合うような者でもなかったようです。なぜなら初めてのイースターを迎えてイエス様の弟子たちは、自分たちの師であり、救い主であると思っていたイエス様が十字架にかけられて無残な死を迎えられたのです。それも、まともに葬ることも出来ず、墓に葬られたのを見届けることしかできなかったのです。それも見届けたのは婦人たちだったのです。

 そして、イエス様を墓に収められた様子を見届けていた婦人たちは、イエス様のご遺体に油を塗って葬りの支度のために安息日が終わるとすぐに油を買って墓へと向かったのでありました。イエス様の墓は当時の墓の多くがそうであったように、山の横にある洞穴を墓として使用して葬られたのでした。洞穴の蓋としては、大きな石でふさがれていたのでした。婦人たちの問題はこの大きな石を誰が転がして退けてくれるか、ということでした。石は非常に大きかったのです。そして、墓に向かったのは婦人たちだけだったのです。男の弟子たちはいなかったのであります。婦人たちが、墓の入り口の石を誰がどけられるかどうか不安を持って墓へと向かったのでした。しかし婦人たちの心配は不要でした。墓の入り口を閉じている大きな岩はすでに転がしてあったのです。

 ここで石が横にのけられていたのは、この墓の中へと婦人たちを招き入れるためだったのではないでしょうか。その招きに従って墓の中に入ってきた婦人たちは、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えて、ひどく驚いたのでした。

 イエス様のご遺体があると思っていたにもかかわらず見た事もない若者がそこにはいたのです。わざわざ白い長い衣来ていたと書いているのは、この青年が天使であることを積極的ではありませんが示しています。そしてこの青年が「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」と婦人たちに告げたのです。さらに、「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」告げたのです。

 しかし、婦人たちは墓を出て逃げ去ったのでした。震え上がり、正気を失ってしまっていたのです。そして、だれにも何も言わなかったのです。それは、恐ろしかったからである、とマルコは言うのです。

 イエス様が以前から言っておられたこととは言え、復活の出来事に出くわした人々の気持ちを良く表していると思います。恐ろしかったのです。自分の理解を越えた出来事に出会ったことが良く表されています。復活と言う出来事はそれほどまでに、恐ろしいと思えるほどに大きな出来事だったのであります。どの様に素晴らしい出来事であろうとも自分たち受け入れられるキャパスティーを越えてしまうと、恐ろしいものと変わってしまうのかもしれません。

 この驚くべき出来事が、今では私たちにとって一番大切な出来事であると言っても良いのでありましょう。恐ろしいまでの偉大な事実が、それを告げる天使にとっては、「驚くことはない」と言うのです。

 なぜ驚くことではないかと言えば、イエス様がこの地上においでになった大切な目的の一つが、この復活の出来事だったからでありましょう。そして、同じマルコによる福音書の10章27節において言われているように「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできる」のです。

 そして88編9~13節に言われている疑問がここで解き明かされているのです。イエス様は黄泉にまで下って人々の救いのために働かれ、そして私たちに最も大切な恵みを与えて下さったのであります。

 人の思いをはるかに超えた恵みをもたらせてくださったのであります。それは、神様によってもたらされました。イエス様は天父なる神によって甦らされたのであります。この大いなる恵みが私たちの身にも及ぼされたのであります。イースターの出来事は、歴史的な出来事であると共に私たち自身にも直接かかわりのある恵みなのです。どの様な困難な中においても確かな道を指し示し、神様の御元まで導いてくれる道標が復活の出来事であり、私たちの最高の希望なのであります。

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