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すばらしい喜びに満ちあふれ

降誕節第5主日礼拝

説  教 「すばらしい喜びに満ちあふれ」   岸 敬雄牧師

            聖 書 歴代史上29章1~19節

                ペトロの手紙一1章3~12節 

 

 本日の旧約聖書は、ダビデ王がソロモン王に対して王位を譲る前に神殿建築と言う大事業について、ダビデ王は、ソロモン王は神様に一人選ばれたが、彼はまだ若くて力弱く、この神殿建築と言う大事業は大変だと言っているのです。そして、この神殿は人のためではなく神なる主のためなのだと言っているのです。

 ダビデ王は、金銀をはじめ自分の資産まで拠出すると言うのです。それに対して民の指導や家系の長たち、イスラエル諸部族の部族長たち、千人隊と百人隊の長たち、それに王の執務に携わる高官たちが、自ら全き心をもって進んで多くの金、銀、青銅、鉄、宝石を捧げたのでした。

 それに対して民は喜び、ダビデ王も大いに喜んだのです。そして、ダビデ王は全会衆の前で主をたたえて祈りを捧げたのでした。

 今回は祈りの内容を精密に見て行くことはできませんが、父祖イスラエルの神である主が世々とこしえにほめたたえられますようにと言い、偉大さ、力、光輝、威光、栄光をはじめ、天地にあるすべてのものは、主のものであり、主は万物を支配しておられると言い、感謝し、輝かしい御名を賛美しいるのです。

 自分が主の前では、先祖が皆そうであったように寄留民にすぎず、移住者にすぎないというのであり、神殿を築こうとして準備したこの大量のものは、すべて御手によるものであると言うのです。

 そして、民の心を確かにあなたに向かうものとし、 わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの戒めと定めと掟を守って何事も行うようにし、わたしが準備した宮を築かせてください、と願うのです。

 この様に主の栄光を示すためにダビデ王によって準備され、ソロモン王によって完成した神殿はイスラエルの民にとってまさに誇りであったことでありましょう。

 しかし、イエス様はマタイによる福音書2章6節で「言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。」と言われ、暗に自分が神殿より偉大なものであることを言い表されていたのです。

 イエス様の言われたことは真実です。どのような荘厳で神聖なものであろうとも主なる神の独り子であられる主なるイエス・キリストより偉大であるはずはありえないのですから。

 ペトロの手紙一の冒頭部分において、主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。と言ったうえで「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」言うのです。

そして、「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」とこの手紙を送られた人々は、キリストを見たことがないのに愛し、今も見なくても信じていると言うのです。

 この手紙の受け取り手は、イエス様が復活される以前にイエス様を見た事がなくとも、救い主として愛し、信じているから言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれていると言っているのです。

 たとえ、本日の手紙の受け取る人々が試練の中に置かれていようとも、「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらす」と言っているのであって、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、あなたがたに告げ知らせて自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についての証しだと言うのです。

 イエス様を直接見たことの無い私たちも、キリストを私たちの救い主として受け入れて、その恵みと喜びの中で生きているのです。私たちがイエス・キリストと呼びかける時に、この地上においでくださったイエス様が、私たちのキリストすなわち救い主であるのです。そして復活についても思い返すべきなのです。

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