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パウロの使命

降誕後第4主日礼拝

説  教    「パウロの使命」  岸 敬雄牧師

              聖 書  詩編100編1~5節 使徒言行録9章1~20節 

 先週は母の体に居る時から特別の使命が与えられていた様な、洗礼者ヨハネの使命についてマルコの福音書から聞いていきましたが、本日は異邦人に対する使徒であると自覚する事に成る、パウロの使命について使徒言行録から聞いていきたいと思います。

 パウロについては、皆さんもご存知だとおもいますが、新約聖書の中の使徒言行録の後半部分の主要メンバーであり、彼の手紙が14書簡あります。中にはパウロの名前を借りて弟子などが書いたのではないかと疑われる手紙もありますが、その様な手紙であってもパウロのことを尊敬し、てパウロの考え方に基づいて書かれていることは確かでしょう。

 パウロと言う名前は、使徒言行録の13章にある第1回宣教旅行で、キプロス島行った時に、「パウロと呼ばれていたサウロは」と言う記述がり、その後からパウロとの名前が記載されるようになっていきます。

 本日の聖書箇所においては、パウロはまだサウロという名前のままです。ですから、本日出てくるサウロとパウロは同一人物で、どちらの名前を使っても、変わらないものとお考えください。。

 そんなパウロが、当時はユダヤ教の一派、あるいはユダヤ教の異端と考えられていたキリスト教へと回心するまでの経過が本日の新約聖書の箇所に書かれています。

 パウロが初めて聖書に登場するのは、初めての殉教者となったステファノの殉教する場面です。使徒言行録7章58節で「都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」とあり、新しい翻訳では口語訳同様に上着を足元に置いた。と書かれています。いずれにしろ、足元に置くとは見ていてもらうために預けとことを意味して、石を投げつけている人々の証人と成る人々がサウロに着ていたものを預けたことを意味します。

 そして、さらに、使徒言行録の8章1節には、わざわざ「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。」と書かれています。この様に若者であるサウロは、はじめからキリスト者に対する迫害者として登場しているのです。

 サウロは主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んでいたのでした。そして大祭司のところにダマスコの諸会堂あての手紙を求めたのでした。その手紙の目的は、イエス様を信じる者は男女を問わず縛り上げて、エルサレムへ連行することを実行する為でした。

 そして、サウロは旅をしている途中にダマスコに近づいた時、突然、天から彼の周りを照らす経験をしたのです。そしてサウロは「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いたのでした。他の聖書では、呼びかけられた名前はサウロと成っているのも多くみられますが、私たちが使用している新共同訳聖書では、サウロのヒブル語読みであるサウルと言う名前が使用しているようです。サウルとはダビデ王の前任者であるサウル王と同じ名前となります。

 名前はさておいて、サウロに対して天から呼びかけがあったことは確かな事実でした。その天からの声に対して、「主よ、あなたはどなたですか」と言ったのでした。それに対して答えがあり、わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」と告げられたのです。

 ここでパウロはイエス様と出会ったのです。そして、イエス様の声を聴いたのです。しかし、一緒にいた人々は声を聞こえてもだれの姿も見えないので、ものも言えず立ってるだけだったのです。

 パウロは復活したイエス様に出会うことによって、「異邦人に対する使徒」として召されたのです。他の使徒たちは、イエス様が宣教を始められた当初からイエス様と行動を共にしていた人々でした。パウロは復活される前のイエス様とのかかわりは何も語られていません。パウロはイエス様が復活した後に召された詩と名のです。

 しかし、イエス様から直節召された使徒であると言う自覚が、後のパウロにはありました。パウロはしっかりとイエス様から召されたからこそ、自分のこれまでの行いを省みて激しい苦しみを受けたとしても、それを乗り越えて、自分に与えられた使命を果たして行くことが出来たのです。

 人は時として過ちを犯すことがあります。自分が正しいと思いながらも、実はそれは主の思いにかなわないこともあるのではないでしょうか。そのことを主より知らされた時には、一時はどんなに辛い思いがあるとしても、悔い改めて主のみ旨を探りながら、それと共に主を仰ぎ見なが、意見の異なっていた人とも共に歩んでいく道を探り歩んで行かなければいけないのではないでしょうか。

 パウロも悔い改めの状態は、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」と書かれていますが、心の中ではずっと祈り葛藤していたことは明らかでしょう。その苦しみは、私たちでははかり知ることはできないほどの苦しみだったのではないでしょうか。

 しかし、サウロは『「そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 食事をして元気を取り戻した。』のでした。

 しかし、回心したパウロは、初めはキリスト者の指導者たちにも受け入れられませんでした。そんなパウロは、皆から受け入れられるように努力して、しっかりとイエス様から召された使命を果たしていったのです。

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