過去の説教

「ヨハネの使命」

降誕後第3主日礼拝

説  教    「ヨハネの使命」  岸 敬雄牧師

       聖書 詩編36編6~10節 マルコによる福音書1章4~11節 

 洗礼者ヨハネの使命と言うと、どのようにお考えになるでしょうか。例えばヨハネの福音書の1章にあるように、「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」と言うように、光であるイエス様を証しそるのが使命だと言っています。

 本日のルカによる福音書においてもヨハネによる福音書同様に、本日の聖書個所の前の部分である3節でイザヤ書40勝3節を引用したものと思われますが、言われている通り、主の道を整えるものであり、その道を真っ直ぐにする者だと言っているのです。

 そして、具体的には「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」と言っているのです。

 イエス様のために道を整えるとは、人々に悔い改めて福音を受け入れられるように道を整え、悔い改めのしるしとして洗礼を受けるようにと述べ伝えたのでした。

 その様な洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼活動は広い地域に広がって「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」のでした。

 洗礼者ヨハネは、ヨルダン川沿いを本拠内としていました。そこには水があり、今で言えば沈礼、とか全身礼と呼ばれるような、全身を水に下す洗礼を施すのに有利だったからです。

 そして、「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。」と言い、ヨハネがらくだの毛衣を着て、腰の皮を締めている、その様な衣装を身に着けているその姿は、預言者を象徴している姿であり、いなごと野蜜も聖なる物であると考えられていました。着るものや食べるものを通しても、ヨハネが主の正当な預言者であると主張しているのです。

 そんな正当な主の預言者であるヨハネは悔い改め以外に。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」と述べ伝えていたのでした。。ヨハネはイエス様との面識はそれほどあったわけではありませんでしたが、それでも神様から伝えられたこととして、私より優れた方が来ると言っているのです。

 主の預言者であるヨハネは特別の存在であり人々から尊敬されている存在であることは確かです。だからこそ自分より優れた方が来ると言ったのであり、そして、自分の価値としては、後からこられる方と比べるならば「かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」と言うのであり、それだけ後から来られる方は偉大なのだと言っているのです。

 そして自分と後から来られる方とを比べて「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」と言っているのです。ヨハネは悔い改めのしるしとして水で洗礼を行っていましたが、後から来られる方、すなわちイエス様は、聖霊で洗礼をお授けになると言っているのです。

 ヨハネの洗礼とイエス様の洗礼との違いは明らかです。ヨハネの洗礼は悔い改めの洗礼でしたが、イエス様の洗礼は、神の国に入る、救いに入る為の洗礼なのです。

 イエス様が洗礼をお受けになられたのについては、マルコのよる福音書には事実のみ簡潔に述べられています。

そしてイエス様が洗礼の後に、「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」のでした。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた」のでした。

 天よりの神の認証する声がして、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来ることにより、まさに三位一体の神が表されているところであるとも言われます。私たちは、この天父なる父と子なる主イエス・キリスト、そして霊である聖霊なる神を信じ、私たちは信じて従っていくのです。

 洗礼者ヨハネの使命は、まさに福音を伝える主イエス・キリストのために道を整え、救いのみ業の訪れの前触れを行うことだったのです。

 洗礼者ヨハネの最後は、牢屋で首を切り落とされてしまいますが、首を切られる前に牢の中から弟子たちをイエス様のもとに送って、自分が待っているべきお方はあなたなのか、それとも他の方を待つべきなのかと質問しています。私たちもイエス様のことを知っていると思っても、それが分からなくなることもあるのではないでしょうか。しかし、その時にも、主は必ず私たちに手を差し伸べていてくださり、導きを与えてくださるのです。決して見捨てることはなさらないのです。

アーカイブ