過去の説教

「天使の讃美」 

降誕後第2主日礼拝

説  教    「天使の讃美」  岸 敬雄牧師

              聖書 ゼカリヤ8章1~8節  ルカによる福音書2章8~21節

 

 1月1日は、日本では元旦と言われますが、キリスト教的に言えば、主イエス・キリストの割礼と命名がおこなわれた日とされています。

 次週は、イエス様のもとに占星学の学者たちが訪れて、イエス様が公に姿を現された日とされ公現日、または顕現日などと言われ、それまでをクリスマスとしています。

 今年はたまたま教会歴通りに進んでいるようにも思われますが、イエス様の名前が付けられた出生後8日目は、イエス様の当時としては、男の子が割礼を施す時であり、割礼は神様との契約をはたす行為であったのです。

 日本においても子供や孫が生まれた時に、命名を半紙などに書いて張り出し、お祝いをする風習があったことを覚えておられる方もいらっしゃると思います。

 そんなに、皆が集まってお祝いをしないまでも、子どもに名前を付ける行為は、自分が親になったことをさらに自覚する時であり、親としての喜びを味わうひと時となっているのではないでしょうか。

 本日の新約聖書の最後の部分には、イエス様の命名について簡潔に書かれていますが、人々には広く知られることは無かったようです。

 しかし、ここではルカによる福音書の1章で描かれている、天使ガブリエルにより伝えられたイエスと言う名前が付けられ、人の業ではなく神様の業であることが強調されているのです。

 イエスと言う名前だけを見れば、イエス様の当時の名前としては決して特別なものでは無かったようです。

 だからこそ、イエス様のことを呼ぶ時に、当時の習慣である出身地の名前を付けて呼ぶ人が出てきます。イエス様の出身地と思われていたナザレを先に付けて「ナザレのイエス」と呼んだのです。そして、聖書には、何人かのイエスと言う名前を持った別人も出てきます。しかし、主であるイエス・キリストの名前は、特別なものであると言っているのです。

 イエス様の誕生から命名日に至るまでの一週間の出来事としては、天使によって御告げを受けた羊飼いの物語でしょう。

 羊飼いたちが地方で夜通し羊の番をしている時に、突然主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたのでした。ここでも天使たちは主の天使であると、しっかりと「主の天使」であると示し、そして、天使の栄光ではなく、主の栄光が周りを照らしたと言うのです。そんな状況に対して、何もわからない羊飼いたちは非常に恐れたのでした。

 そんな恐れている羊飼いたちに対して天使たちは、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と告げたのでした。

 さらに、突然目の前にいた天使に天の大軍が加わり、神を賛美して「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と讃美して言ったのです。天使たちが告げたのは、民全体に与えられる大きな喜びであり、それは、イエス様がお生まれになったことであり、民全体に与えられる喜びは、主によって告げられた、人の出来事ではなく、神の出来事であると示しているのです。

 羊飼いたちは、最初は恐れましたが天使の讃美を聞いて喜びに変わったのです。そして、自分たちの眼で見て、天使たちから告げられた「民全体に与えられる大きな喜び」を自分たちの眼で見て確認したくて仕方なくなったのです。

 羊飼いたちは、自分たちの何よりも大切な財産である羊を野においたままでも、天使に告げられた喜びを確認しないわけには行かなくなったのです。そして、天使が言った通り、イエス様が飼い葉桶に寝かされている様子を見つけることが出来、神をあがめて、賛美して帰っていったのでした。

 イエス様により与えられた「民全体に与えられる大きな喜び」は何をおいても探し求める価値があるものであり、そこには喜びが与えられるのです。私たちにも、「民全体に与えられる大きな喜び」は、与えられたのであり、私たちも、羊飼いの様のように最初は驚きをもって訪れ、その後に喜びに変わるのではないでしょうか。その喜びを私たちも伝えて行くのです。

アーカイブ