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主は彼らの手を通して

                                                     降誕前第6主日礼拝 11月13日(日)           

説 教 「主は彼らの手を通して」  岸 敬雄牧師

                                                           聖 書  詩編105編37~45節 ローマの信徒への手紙14章1~13節

 

 詩編の105編において、主がイスラエルの民を導き出された時にどのようなことをしてくださったかが箇条書きのように描かれています。

 イスラエルの民がエジプトを出る時には主は金銀を持たせたと言っているのです。主がエジプトの民を恐れさせられたので、イスラエルの民に金銀を与え、彼らが出て行くことを喜んだと言うのです。そして雲と火の柱によってイスラエルの民を導かれ、民が求めると主はうずらをもたらし、天のパンをもって、すなわちマナを持って彼らを満足させられたのでした。のどが渇いたと民が言えば岩を開かれ水を与えられたのです。

 さらに主が行ってくださった事を、時代をさかのぼってその僕であるイスラエルの父祖アブラハムになさった事、すなわち諸国の土地を授け、多くの民の労苦の実りを継がせたと言い、それゆえ彼らは主の掟を守り、主の教えに従わなければならないのだと言っているのです。

 結果としては、主の教えを守り従う事の根源的な要素として示されていますが、出エジプト時の主が人々にしてくださった数多くの恵みの陰には、主に逆らい主に不平を言い続けた人々が居たことは確かであり父祖であるアブラハムにまで立ち返ってもう一度しっかりと主の教えに従えるようにと言っているのです。

 ここ詩編105編においては、出エジプトの出来事において主が与えてくださった恵みの出来事を数え上げることによって、主の素晴らしさを賛美していますが、その裏にあるイスラエルの人々の主に対する反逆の歴史でもありました。主はその様な主に対する反逆をする民の手を通して、より一層主の教えと恵みの確かさを後世へと伝えて行かれたのです。

 ローマの信徒への手紙14章においてパウロは、信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。と言うのです。誰に対して言っているのかと言えばすれは、信仰が強いと自分で考えている多数派の人々に対して警告として伝えているのです。

 しかし、その後の警告の中身を見て行くならばそれは強い人ばかりではなく、弱い人と呼ばれている人々に対しての警告であることもはっきりして言います。どのような人々に対しても、たとえ対立する人の手を通してでも、主は導きを与えてくださるのです。だから、自分の考えと異なった考えを持つ人にも、その考えを批判してはなりません、といっているのです。弱い人を通して強い人も弱い人からも学ぶことはあるのです。

 そして、「他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。」他人の召し使いとは、だれの召し使いだと言っているのでしょうか。それは確かに私たちも含めてあるじは、天父なる神以外におられないのです。

 そして、私たちは「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。」だからこそ誰も人を裁くのではなく、それぞれの考え方を持った人の手を通して学ぶことなのでありましょう。

 私たちはそのあるじのために働いているのであり、そのことを、「私たちが何について生きるか、そして死ぬかと言えばそれは、主のためだと言うのです。そしてそのことを知る為には弱い人も強い人も共に神の御手として働かされるのです。」と言っているのです。

 そして、「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」と言うことなのです。

 私たちが働くのは主のためであり人の為ではない、このところは以前にも説教で取り上げさせていただいたかとは思いますが、私たち一人一人には違いがあり長所もあれば短所もある、強いところもあれば弱いところもある、もっと言うならば罪人である人間の集まりが教会です。その様な人間が集まって教会を用いて神様はその御業を進めておられるのです。

 

教会の歴史を見てもあの出エジプトの様に多くの出来事がありその出来事の中でも栄光の出来事も会ったでありましょう。そして教会の中でも、教会の創立当初からおられる方から比較的最近教会へともち美かれてきた方々もおられます,その様な色々な出来事の中で神さまが与えてくださった恵みを数え上げて行くべきでありましょう。

 

 

 

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