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人の子が現れる日

召天者記念主日礼拝 (聖徒の日)                 

 説 教 「人の子が現れる日」  岸 敬雄牧師

                聖 書  詩編39編6~10節 ルカによる福音書17章20~30節

 

 人の子が現れる日、言い換えるならば主イエス・キリストがこの地上に再び訪れてくださる日とは、私たちの救いを実感することが出来る日何ではないでしょうか。私たちはその日を持ち望んで日々を過ごしていると言えるのではないでしょうか。 

 私たちには、本日、私たちより先に神の身元へと変えられた信仰の先輩たちのことを思って召天者記念礼拝を捧げています。本日読み上げられる召天者の方々のお名前を聞いて、これまでのそれぞれの方々の札幌中央教会でのお働きを懐かしく思い出される方もおられるのではないでしょうか。

 私たちの信仰の先輩たちがどの様の希望を持っていたのでしょうか。その希望の一つとして神の国が来ることだったのではないでしょうか。

 イエス様に対して、ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねています。ファリサイ派の人々は先祖から伝えられてきた教えを受け継いで戒めを厳密の守ることによって救われることを待ち望んでいた人々です。神の国が来る、言い換えれば自分たちの救いの成就は何時達成さるのかと尋ねているのです。

 それに対してイエスは答えて神の国は、見える形では来ない、そして『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。と言われたのでした。それではどのようにして神の国が来るのかと言えば「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と言われるのです。決して遠くにあるのではなく私たちのすくそばねあるのだと言われているのです。

 もっと言うならば、もうすでに救いは私たちの間に来ているのだと言うのです。しかしそれと共に神の国が来る時に注意すべきことをおっしゃられているのです。

 そして、弟子たちに警告を与えるのです。初めに弟子たちが今の様にメシアと信じるイエス様のことを見ようと思っても見ることができない時が訪れると言われるのです。

 「それは『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。」今キリスト教を名乗っているカルト教団が世間を騒がしていますが、その様な偽預言者や偽メシア偽物の救い主が現れて世の中を騒がせることはご存じだったのです。その様なものに心を騒がせて出て行って、その様に騒いでいる人々のあとについていってはならないと言われているのです。

 人々に惑わされることなくしっかりと救い主を待つようにと言われるのです。そして救い主の現われる証拠として「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。」と言われるのです。

 そして、イエス様おられる時間に戻って、「しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。」と言われ、ごイエス様御自身は多くの苦しみを受けた後にこの世から排斥されることを予言されるのです。

 そして、自分たちの救い主がそのように苦しみを受けていることを知らないと言われるのです。その例としてあのノアの洪水の時期の人々とロトの時代の人々を引き合いに出すのです。洪水や滅びが自分たちを襲うその直前まで何時もの通り普通の生活をしていたのだと言われるのです。

 イエス様は私たちにとってと過去と未来のことを同時に語られているように思えます。しかし、イエス様が天の国は私たちの間にあると言われるように現在の私たち自身が経験していることで間あるのです。もっと言うならば経験している事でなければ成らないのです。

 なぜならば私たちの元に天の国言い換えれば救いは来ているからです。そして私たちは神の救いの中で人の子が現れる日を待ち望んでいるからなのです。

 私たちにとっての救いは将来に置いての希望だけではなく、現在自分自身が味わうべき恵みなのです。私たちはその事を先達より教えられてきたのではないでしょうか。

 詩編の作者が人生の短さ、虚しさを嘆きながらも、主にむことに希望をおいていた様に、 人の子が来られる最終的に救いが成就する時が何時であるかは私たちにはわからず、普段通りに生活している事に成るのかもしれませんが、決して油断する事勿来の日まで主に従って歩み続けていきたいと願うのです。

 

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