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奉仕者の品位

聖霊降臨節第8主日礼拝 

説 教 「奉仕者の品位」  岸敬雄牧師

                聖 書 詩編52編3~9節 テモテへの手紙一3章8~16節

 奉仕者に資格が必要なのでしょうか。世の中において奉仕を行おうとするならば、その奉仕によっては、必要な資格があるかもしれません。医療なら医師免許、法律相談なら弁護士資格などと言う様に資格が必要な場合もあるでしょう。

 しかし、本日の聖書の箇所で言われている奉仕者とは、決して世の中で行う奉仕、ボランティアの様な意味ではなく、ここで奉仕者と訳されている単語は、以前の口語訳聖書や新改訳聖書などでは「執事」と訳されている単語です。

 現在でも長老制度を取っている教会に於いては、長老と共に執事と言う名前の職制を持つ教会があります。

 私たちの教会に於いては、役員の職制は一つで、役員と呼んでいるだけですが、教会により、役員の呼び名は、色々と違いがあり、カトリックとの共同の訳てある新共同訳聖書では、その様な面も考慮して、奉仕者と訳されたのではないかと思われます。

 しかし、ここで言われている奉仕者とは監督と同様に、特別の役割に召されている人々を対象として述べていることは確かでありましょう。

 奉仕者の資格について、「同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。」と言われている様に、この場面の前に語られていた監督と同じようにと言っているのです。

 監督についても、奉仕者も教会にもける実務や霊的な指導に当たる務めに当たる人であることを示しており、その様な教会に於ける権力を持つ人々が詩編52編にあるような「力あるもの」だとしたら、教会は乱れ神様からの祝福は途絶えてしまうのではないでしょうか。

 だからこそ監督や奉仕者は、資質が問われ、主と教会からその職を受けるにふさわしいかどうか審査を受けるべきなのだと言われているのです。

 監督、言い換えるならば教会に於ける役員に代表される指導者の資格についても、現在には沿わないように思われる資格も入っています。例えば3章の2節に「だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり」とある様に監督は男性でなければ成らないように読めますが、現在当教会においても男女平等であり、役員になる資格も男女平等に与えられています。それに、独身の方であっても役員となることは可能になっています。聖書の記述にはこのような現代の時代には相応しくない様に思われる箇所も散見されますが、その様な時代による変化があることは確かですが、それであってもなお、現在に通じる真理が聖書の中には語られているのは確かです。

 この監督と同じように教会により選ばれ、特別に奉仕に当たるものは、品位のある人でなければならず、その品位とは、二枚舌を使わず、言い換えるならば嘘をつかず、大酒を飲まず、決して飲酒を禁止しているのではありませんが、飲酒によって不覚を取るようなことは決してあってはならず、恥ずべき利益をむさぼらないとあります。

 監督が主に信仰の問題に関わっていたのに対して、奉仕者は、主に生活面に対する奉仕をしていました。その中にはお金を扱うものが含まれていたために、誠実であり信用がおける人間であるべきだと言われているのです。

 そして、外面的な部分のみならず「清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている」と内面的にも清い者であり、清い良心の中に信仰の秘められた真理持っているものだと言います。

 この「信仰の秘められた真理」とは、イエス様が私たちの所までおいでくださるまで隠されていたものと言う意味で、イエス・キリストの福音を指しているのであり、それを持っていることが、なおさらに強調されているのです。さらに、奉仕者も審査を受けて非難される点が無いことを確認されなければ成らないと言うのです。

 続いて、婦人の奉仕者たちに対しても、品位のある人であり、女性が陥りがちだと考えられていた、中傷などと言う舌に関連するような罪に陥ってはならないと言うのであり、そして節制をすることができる人であり、あらゆる点で忠実でなければならない。

 それは、神や夫、その他の人との人間関係、社会的関係においても忠実でなければ成らないと言っているのです。そして、話を男性の奉仕者に戻して、「一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人で」と家庭内を良く収めることが出来れば、「奉仕者の仕事を立派に果たした人々は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになる」のだと言うのです。

 先に信心の秘められた真理とは福音のことであると簡単に述べましたが、それを具体的に「、キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」と述べているのです。

私たちもこのキリスとその真理を身に着け神の召しの奉仕業にあったって行くのです。

 

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