過去の説教

イエスを知る悪霊

聖霊降臨節第4主日礼拝

説 教 「イエスを知る悪霊」  岸敬雄牧師

聖 書  詩編16編10~11節 マルコによる福音書5章1~20節

 詩編16編は、イエス・キリストにおける復活の出来事と結びつけられて読まれてきました。イエス様が復活する事によって、どの様な恵みがあるかが描かれている箇所として、本日の10節、11節に「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなくあなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い右の御手から永遠の喜びをいただきます。」と言われています。

 私たちは、死後においても続く救いにより与えられる永遠の祝福、それに伴う喜びが語られているのです。イエス・キリストの十字架と復活により私たちに与えられた死をも乗り越えた恵みについて想起させられる箇所度と言うのです。

 聖書の中において、本日の詩編以外にも色々な形で死後の世界や天父がおられる天やそこに居るとされる天使やその反対側にいるような悪霊など、現在の私たちが生活している世界、眼に見える物の世界以外についても、触れられている場面は、意外と多くあるのではないでしょうか。

 本日の新約聖書の箇所であるマルコによる福音書5章1~20節では、イエス様一行が、ゲラサ人の地方に着いた時に、 イエス様が舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来たのでした。墓場はいわば、私たちの眼に見えない世界、霊の世界との境としての墓場を示しているようにも感じられます。  

 イエス様のもとに来た男は、悪霊に取りつかれて墓場を住みかとしていたのでした。この墓場に住んでいた男については、度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかった。そして、昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていたと言われているだけで、男については外見的なことしか当初は語られていないのです。

 イエス様と語っている対象はこの男の中にいる悪霊だと言う事に成ります。初めに墓場の男は、イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し 大声で叫んだのです。悪霊は「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」と言ったのでした。なぜその様な事を言ったのでしょうか。それはイエス様が「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからです。

 悪霊は、イエス様が何者であるかを知っていたのです。イエス様は、いと高き神の子であると言うことを知っていたのです。何時ものイエス様ですと問答無用で悪霊を追い出している印象があますが、イエス様のことを知っている悪霊に対して、イエス様も悪霊に対して名前を聞くのです。

 すると悪霊がレギオンと名乗るのです。名乗りと言うのはある意味自分が何者かを示してしまう事になるので、決して安易に行って良い行為では無かったのです。しかし、悪霊はイエス様の命じられたことに逆らうことができないのです。そして、悪霊が名乗ったギデオンと言う名前は、それは、自分たちが大勢だからだと言うのです。

 レギオンとは、もともとローマの軍団を意味する言葉で、時代によって変わったそうですが、新約聖書時代には6000人ほどの軍団のことだと言われています。だからこそ、悪霊も大勢だからと言ったものと思われます。

 そして、さらに悪霊はイエス様に自分たちをこの地方から追い出さないようにと願うのです。それがかなわないことを知ると、さらなる代案として「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願い出るのです。悪霊はユダヤ人から忌み嫌われていた豚であっても、肉体を得ることを渇望したのです。

 イエス様は、決して単純に自分たちを滅ぼすだけではなく悪霊の意見すらも聞いて下さるほどのやさしさがあるお方であることも悪霊は知っていたのです。すると、イエス様は、悪霊の意見を聞き入れて豚の中に入ることを許されたのでした。

 すると「汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。」のでした。

 結果として悪霊は豚の中に入っても滅んでしまった。悪霊たちにとって豚の肉を得て滅ぶのがどれほど良い事であったかは私たちには計り知れないかもしれませんが、墓場にいた男は悪霊から解放されて正常に戻ることが出来たのです。

 この出来事を知った人々はイエス様にこの地を立ち去るようねがうのです。悪霊を追い出していただいた男は、イエス様につき従うことを願いましたが、「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」と言われるのです。

 イエス様の力を知ることにより、恐れしか感じなかった人々、イエス様のことを「いと高き神の子」と知っていた悪霊、悪霊をイエスによって追い出していただいた男は、イエス様にこの地方から出ていっていただくように願った人々と違いイエス様のことを理解して着き従うことを願ったのです。同じことが起こっても人々の中に理解出来る者と、理解できない者へと分かれているのです。

 付き従いたいと願い出た男について、イエス様はそれを赦すことなく「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」と言われたのです。

 その様に言われた男は、「イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。」のでした。

 悪霊ですら、イエス様のことを知っているにもかかわらず、イエス様を理解できない人は出て行くように求め、人の理解力の限界。人の愚かさがここに表されています。しかし、悪霊を追い出してただたいた男はイエス様を言い広める業を担う様になるのです。

 私たちも、決してすべてを理解できていないとしても、イエス様を言い広めた男の様に人々に伝えて行く方の人間として歩んでいきたいと願うのであります。

 

 

 

アーカイブ