過去の説教

聖霊が降ると

復活節第7主日礼拝

説 教 「聖霊が降ると」  岸敬雄牧師

聖 書  詩編122編1~9節 使徒言行録2章1~11節

 詩編122編は、都に上る歌の第3番目の詩となります。主の家があるエルサレムが、この詩の主題であり、主の家がこの詩の初めと終わりに包み込むようにしていて、エルサレムをめぐる喜びがあふれている詩です。

 主の家とは、神を礼拝する場所としてのエルサレムにある神殿のことを指していると考えられますが、現代の私たちにとっては、皆さんと共に神を礼拝している教会が、主の家にあたるのではないでしょうか。主の家である教会へと戻ってくることは、まさに旧約聖書に時代のエルサレム、そして神殿に帰ってくるのと等しい喜びがあるべきであろうと言えましょう。

 旧約聖書の時代から、建物の中で聖書を読み礼拝することは神殿やシナゴーグと呼ばれる集会所で行われていました。しかしそれでも、神殿やシナゴーグは天父なる神の教会ではありませんでした。

 教会は集会所の様に建物が先にあるのではなく、三位一体の神の御一方である聖霊なる神がイエス・キリストの弟子たちに降ったことにより、神様が呼び集められて出来上がって来たのであり、その事を記念したのが聖霊降臨祭と言う事に成ります。

 聖霊については旧約聖書にはほとんど出てきていません、聖霊にあたる言葉は詩編とイザヤ書に一ヵ所ずつ出て来るだけです。もちろん旧約聖書にも霊と言うものは色々な形で出てきています。創世記の1章2節には、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」とあります。その後神は光あれと言われて、天地創造が開始されます。言ってみれば神の霊は天地創造の以前から登場してきていた事に成ります。この神の霊こそが聖霊であると言われる方もおられるほどです。

 神であられる聖霊が、旧約聖書にははっきりと示されてはおりませんが、考えてみれば、表向きイエス様も旧約聖書には表むき出てくるわけではありません。しかし、イエス様はヨハネによる福音書1章にあるように、天地創造の以前から天父と共におられたのです。

 聖霊も後ろに隠れ、霊は色々な形で旧約聖書では出てきて、新約聖書において、はっきりと姿を現されたのです。そして、私たちの守りて、導き手としおいでくださり、そして教会をお建てくださった出来事の発端が聖霊降臨の出来事なのです。  

 聖霊降臨の出来事は、イエス様が復活して地上で40日の間弟子たちと共におられた後に、天上に帰られた際に、自分の弟子たちを守り、証してくださるお方として聖霊が与えられるとの約束を残してイエス様は、天へと戻って行かれたのでした。そして、聖霊が降った状況が本日の使徒言行録の場面になります。

 五旬祭の日とは、ユダヤ教の祭りで7週の祭りとも言われ、過ぎ越祭から50日目で、シナイ山で律法を与えられたことを祝う祭りでした。

 イエス様が復活されて40日地上におられた後、聖霊が与えられるとの約束を待って、弟子たちが集まって聖霊を与えて下さる約束が成就するように祈っていた時の出来事です。

 一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いたのでした。すると、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったのでした。

 聖霊が降る姿は、イエス様が洗礼を受けられけた時、鳩の様に天から下ってきた時の様子が思い浮ぶ方々もおられると思います。聖霊は色々な形で示されていますが、まさに聖霊は自由に働かれるのです。そして、集まっていた弟子たちは聖霊に満たされると、ほかの国々の言葉で語り出したのでした。

 異言を語ることは特別な事として示されているのです。この場面では外国語を話し、それを母国語としている人には理解出来る言葉で弟子たちは語り出したのでした。それは確かに聖霊の働きで起こる奇跡でした。

 ペンテコステの出来事における異言を語り出した出来事は、イスラエル、別の言い方をすればユダヤから福音が異なる世界へ、言い換えれば全世界へと広げられて行くことを示しているのです。

 だからこそ、「人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」といっているのです。そして、最後に言っているように異言で語られていた内容は神の偉大な業についてだったのです。

 聖霊は自由に働き、神の偉大な業を証しし続けています。私たちの時代にも同様に聖霊なる神は働いて下さり、偉大なる神の業を証しして、人々へと広めるようにと、御言葉を託されている私たちを助けていてくださるのです。聖霊は、何時までも私たちと共に居て証していてくださるのです。

 

アーカイブ