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神の子となる霊

聖霊降臨節第2主日礼拝

(花の日・子どもの日)

説 教 「神の子となる霊」  岸敬雄牧師

聖 書  申命記6章4~9節 ローマの信徒への手紙8章12~17節

 神様は、「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と言う戒めを守るようにと命じられています。イエス様もこの戒めを第一の戒めとして伝えています。(マタイ、22:37,マルコ、12:30、ルカ10:27)それだけ大切な教えとして伝えられていたのです。

 旧約聖書から大切な教えとして伝えられています。そして、この戒めを「子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。」と言うのです。

 子どもたちにくり返し教えるようにと言っているのであり、この戒めは子どもたちに教える立場にある親や指導者に対する戒めと言う事に成ります。

 そして、子どもの時から正しい教えを習い身に着けることは大切なことだと言っているのです。そして大切なことは決して難しい事ではありません。それは第一に主は、天父なる神以外に神はいないと言うことです。その上で、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさいと言われるのです。それをどの様に守るべきこと言えば、この戒めを守るために、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときもいつでもこれを語り聞かせるようにと言われるのです。

 さらに、何時も言い聞かせるだけではなく「更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」というのです。この戒めを自分の手に結び付けて、覚えとしては額に付ける、実際に小さい箱に戒めを入れて額に縛り付けるような習慣もあったと言われます。

 現在私たちはその様なことはしていませんが、家においても柱に付けて忘れないようにしておくべきであると言われるように絶えず忘れないことは大切なのは確かです。それだけ大切な教えだと言っているのです。

 このように、天父なる神以外に神様はいない、そして心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛することという戒めを守ることにより、私たちが天父なる神の民となることが出来る方法としてこの戒めは示されているのです。

 私たちは旧約聖書の時代には、戒めを守ることによって神の民となることが出来るのだと考えていたのでした。

新約聖書においても神の民となる方法が書かれていますが、本日のローマの信徒への手紙8章では、わたしたちには一つの義務があると言うのです。

 それは肉による義務ではないと、なぜなら肉に従って生きるのなら死ぬと言うのです。それに対して、霊によって体の仕業を絶つならば、生きるといっているのです。そして神の霊によって導かれる者は皆、神の子だと言うのです。

 神の民は、御子にならって神の子とされることが出来るのです。そして神にしたがう民を導く霊は人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、私たちは神の子とする霊であり、私たちはその様な霊をを受けたのだと言うのです。

 聖書には色々な霊が出てきます。創世記の1章2節に出てくる神の霊から、イスラエルの初代王サウルに訪れた主の霊や悪霊などをはじめ、イエス様を荒れ野に導いた霊やイエス様が追い出された悪霊など色々と出て来ています。その様な色々な霊の中でも聖霊は、私たちを、天父に向かって「アッバ、父よ」と呼ぶことが出来るようにして下さる霊なのです。聖霊は私たちを神の子として下さるのです。

 さらに聖霊は、わたしたちの霊と一緒になって、わたしたちが神の子どもであることを証ししてくださるのです。私たちに与えられた一つの義務とは、肉に従う事では無く、霊、もっと言うなら聖霊なる神に従って生きるということなのです。

 さらに、私たちが神の子として頂けていることを証しするのは、聖霊御一方だけではなく、自分自身の霊も含めて、証人として二人いると言っており、私たちの霊自身においても、神の子となることを知ることが出来るが、聖霊なる神が共に知らせて下さると言うのです。

 そして、もし子供であれば、相続人でもあり、それも神の相続人なのであり、それもキリストと共同の相続人だといわれているのです。このように私たちとイエス・キリストとのかかわりが述べると共に、キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受ける、とキリストと一つとなることが示されています。

 では、私たちには神の子として、どの様な義務があるのでしょうか。それは、もちろん旧約聖書にある様に天父、御子イエス・キリスト、聖霊なる神、この三位一体の神以外を神としない、そして心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛することは大切です。

 それと共に、私たちは神の子として、神の相続人、しかもキリストと共同の相続人とされている者として、肉に従うのではなく、神の子として下さっている霊に従って行くことが大切なのです。

さらに言い加えるなら、私たちはキリストと共に苦しむなら、共に栄光も受けることが出来るのです。私たちはキリストと共に苦しみ、共に栄光を受けるべきなのです。そして主イエス・キリストが御子であられるように私たちも神の子となり、私たちを神の子として下さった霊、聖霊に従って歩んでいくのです。

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