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世からの選び出し

復活節第7主日礼拝

説 教 「世からの選び出し」 岸敬雄牧師

聖 書 イザヤ書45章1~7節 ヨハネによる福音書17章1~13節

 イザヤ書において、主が油を注がれた人、主に選び出された人として語られているキュロスについて、「わたしは彼の右の手を固く取り国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない」と神が平和を与えてくださることを言い表しています。平和を与える神である主は「わたしをおいて神はない」といわれ、旧約聖書の時代の周囲の他国に多くの神々がいるのとは違い、真の神は御一方しかおられないことを表しています。そして「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。」と重ねて言われるのです。

 この様な旧約聖書における神様の存在について、新約聖書においては天父と御子であるイエス・キリストとの関係の中において語られて行くこととなるのです。その様な天父と御子との関係について、今日のヨハネの福音書においても垣間見ることが出来ます。

 ヨハネの福音書においては、他の福音書とは違いゲッセマネにおける祈りは描かれていません。その代りにゲッセマネの園へ行く前にイエス様が祈られた長い祈りが伝えています。

 御子イエス・キリストが、この祈りの中で示されている主題は、御子と御父の一体性であり、さらにその一体性が世から選び出された弟子たちにまで広げられているのです。

 御子と御父の一体性については、天父と御子は、その思いも行動についても全て一つのものだと言われます。その違いは、唯一のまことの神と、その神の遣わした者として知ることが出来るだけだと言われています。

 私たちは、イエス様が私たちの歴史の中に、私たち同様に肉を取っておいでくださってからはっきりと認識することができるようになりましたが、しかし、天父なる神と御子なる主イエス・キリストが旧約の時代から伝えられてきた神であることを、私たちは、この御父と御子の同一性により知ることが出来るのです。

 本日のヨハネによる福音書でイエス様が祈られているのは、言ってみれば、この世との決別の祈りであり、この世に残していく弟子たちに対する取り成しの祈りです。ではイエス様の祈りを、順を追って見て行きたいと思います。イエス様は、天父なる神に対して時が来たと言われます。どの様な時かと言えば、天父の栄光を御子が受け天父の栄光を現す時だと言うのです。

 そして、天父なる神から御子に全ての人を支配する権能が与えられたと言い、だからこそ、全ての人に永遠の命を与えることが出来るのだと言うのです。審判者としての権能は、イエス・キリストに既に与えられていることを示しているのです。

 そして、永遠の命とは何か、それは「唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ること」だと言われるのです。永遠の命と言う言葉の正確な意味は、御父と御子を知ることだと言うのです。ここでも、天父と御子の同一性を示しています。

 そして、天父とあなたが遣わされたイエス・キリストを知ることこそが、永遠の命なのだと言うのです。さらに、話しは栄光について進んでいきます。イエス様は、天父から行う様にと与えられた業を成し遂げたので、天父の栄光を地上で現したと言われるのです。そして、あなたが与えてくださった業を成し遂げたので、本来天上でご自分が持っていた栄光を、父の御前で再びわたしに与えてくださいと願っているのです。

 さらに、弟子たちについて御父から与えられた者たちだと言い、彼らも御言葉を守ったと言うのです。そして、天父から与えられた御言葉を守った弟子たちは、わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っていると言うのです。弟子たちも、御父と御子との関係を理解していると言うのです。

 「わたしは、もはや世にはいません。」と天父のもとに戻ることを言われ、そしてこの地に残る弟子たちを、わたしに与えてくださった御名によって守って下さるようにと願うのです。何故守るようにと願うのかと言えば、御父と御子とが一つであったように、彼らも一つとなるためだと言われるのです。弟子たちは教会に於いても主にあって一つとなるべきなのです。御父と御子が一つである様に。

 天父と御子が一つである様に教会に於いて私たちは一つでなければならないのです。もちろん私たちはそれずれが考え方の違いも、これ間背の生活や社会経験の違いなど多くの違いがあるのも確かでありますが、それを乗り越えて一つとなることが出来るのです。なぜなら、私たちの救い主としてのイエス・キリストが、ご自分と天父なる神が一つである様に、御子と出したちも一つとなることが出来ると言われておられるからです。

 そして、イエス様は弟子たちのことを天父からの預かりものだと言い、実際に守られたために、実際に滅びの子以外はすべて守られたと言い、それも聖書に書かれている通りだと言っているのです。

 これから天父のもとに行く御子が、天父のもとに行く前、世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためだというのです。

イエス様は、この地上を去っていく時に天父が世から選び出してくださった弟子たちに対して、心遣いを現して下さっています。最後まで弟子のことを思っていてくださったのです。現在の弟子である私たちまのことまでも、古の弟子たち同様に思っていてくださるのです。

 

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