過去の説教

互いに愛し合え

復活節第4主日礼拝 5月8日(日)  

(創立記念礼拝・母の日)

説 教 「互いに愛し合え」  岸敬雄牧師

聖 書  レビ記19章9~18節 ヨハネによる福音書13章31~35節 

 本日は創立50票年を記念した礼拝を捧げています。この札幌の地に札幌中央教会が設立されて幾多の経験をへて今日に至っていることでありましょう。

 創立者の方々は、どの様な思いを持ってこの札幌中央教会を設立したかについては、創立当時から教会にいらっしゃる方々のこれより後の愛餐会などの場に於いてかったって頂ければと思いますが、私が聞いているところでは、静かに礼拝したいとの思いが与えられて、集まった一人一人が札幌中央教会を設立するように集まられたとお聞きしています。

 礼拝を大切にし、信仰生活を送ることを目指して設立されたのが札幌中央教会であると言えるのではないでしょうか。今日の週報を見てお気づきになった方もいらっしゃると存じますが、今まで礼拝の司会となっているところが、本日から司式となっています。

 今までは、司式はあくまで教職が担うもので、その一部の司会を教会員の方々に、担っていただくと考えておりましたが、この50周年を契機として変更となりました。

 司式者について、ドナルド・Kマッキム著のキリスト教神学用語辞典では「礼拝の式を司る人」と言っています。カトリック系の人なので、聖職者を中心に言っていますが、日本基督教団式文(試用版)には、「以下の司式は牧師または、教会役員などの信徒が十分な準備をもって行う。」となっています。

 礼拝の責任は基本的には教職者にありますが、司式に当たれる方々もこれを機に改めて十分の準備をお願いいたします。私といたしましては、教会員各位のご負担を増す様な事に成らないか心配しておりましたが、実際祈祷など責任を持って準備しているから大丈夫だとの意見が役員会であり、今までも複数回の提案があったため、今回この様に決定しました。

 教会に於いて色々な責任が与えられます。それは、本日の司式であったり、役員であったり、組長であったり教会学校の先生とか、他にも週報の奉仕や説教題を毎週書いて下さったり、お茶の当番や受付数え上げたらきりがない過去知れません。

 しかし、それはこの世の役割分担とは違うものがあります。それは上下関係で行われているものでは無く、神様から与えられた掟に基づいているのです。

 どの様な掟に従ってと言っているのでしょうか。それは、まさに「互いに愛し合いなさい。」と言う掟なのではないでしょうか。

 神様の掟は、色々の時に与えられました。アダムとエバからアブラハム、そして本日の旧約聖書の箇所ではモーセに対して与えられました。そして本日の新約聖書では、イエス様が新しい掟として改めて掟を与えて下さっています。

 旧約聖書のモーセに与えられた戒めを見て気付くことは、何々してはならない、と言った否定する言葉が多い事でしょう。その上であなたの神を畏れなさいと言い、自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。と言われています。多くの禁止事項で、自分たちの行動を制約した上でないと、「神を畏れ」「自分自身を愛するように隣人を愛」することは、出来なかったのでありましょう。

 それに対してイエス様は、新しい掟として「互いに愛し合いなさい。」と言う教えを与えられたのです。前提条件を付けるわけではないのです。そして、

 イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。}と言われているのです。今まであった教えとしてではなく「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」とイエス様の実践されたことにならって行う様に、それが「あなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」と言われるのです。

 弟子としての証明としてたがいに愛し合う様にと言われるのです。それも私が「愛したように」イエス様が実践して行って見せて下さったように行う様にと言われるのです。

 イエス様は実際に行って私たちの巣の道筋を教えて下さっているのです。決して間違う事がないように。だからこそ、私たちもイエス様がお示しくださったように、互いに愛し合い、イエス様の弟子としての姿を示し続けて行くのです。

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