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キリストの手紙

説 教 「キリストの手紙」  岸 敬雄

聖 書  詩編62編6~9節 コリントの信徒への手紙二3章3~9節

 本日は日本基督教団の「神学校日」(伝道献身者奨励日)です。伝道献身者と伝道献身者を育成している神学校のことを思って礼拝を捧げています。伝道献身者と言うと、伝道師、牧師、宣教師やミッションスクールのチャプレンや教務教師を思い浮かべられるかともいらっしゃると思います。

 牧師たちはどの様な事を伝えているのか、その伝える内容の一端である赦しを与え下さる神様とイエス様について本日の聖書を通して見て行きたいと思います。

 本日の旧約聖書は、出エジプトの出来事の中で、モーセが再び十戒の戒めを受けるために神様の指示に従ってシナイ山に上っていった時の出来事です。モーセは一度十戒を神様から受けましたが、モーセが十戒を受けるためにシナイ山に上っている時に、イスラエルの民はモーセの下山を待ち続けることが出来ずに、自分たちの神として金の仔牛の像を作って大騒ぎをしたのでした。

 その様な自分たちの神を作るような罪を犯したイスラエルの民に対して、怒ったモーセは、十戒の板を打ち砕いてしまったのです。

 イスラエルの民は、神様から罰を受け、大きな災いを受ける事に成ってしまいました。イスラエルの民は災いの後に悔い改めたため、モーセはもう一度神様より十戒を受けるためにシナイ山へと登って行ったのでした。

 そして、モーセは、イスラエルの民のかたくなさを告白した時に、神様はイスラエルの民を赦して、改めて契約を結ぶと言って下さったのであります。民を赦す権限は、神様のみが持っておられたのであります。

 それに対して、本日の新約聖書においてイエス様が『中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。』のでした。この言葉に対して 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」とそこにいた律法学者数人が、心の中であれこれと考えたのでした。その考えの根拠は、旧約聖書に記されているように、罪を赦す権限は神様以外には持っていないと信じていたからです。ここにいた複数の律法学者たちが、イエス様は神の独り子であられる、もっと言うならばイエス様ご自身も神であられることを理解せず、認めてもいなかったのです。 

 その様な無理解な人たちに理解させるためにイエス様は、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」と言われて、中風の人に 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」と言われたのでした。

 イエス様は、自分のことを言い表す時に人の子、と言う言い方を用いられますが、人の子とは、当時イスラエルの解放などの政治的色彩が強かったメシアと言う言葉に変えて、イエス様が当時あまり使われていなかった人の子と言う言い方をメシアと同様に使ったのではないかと言われています。

 ですから、人の子、すなわちイエス様ご自身が、罪を赦す権限を持っていることを示すために「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」と言われたのです。ここで「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」と言うのは、イエス様自身が言われた『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うの、どちらが易しいかという問いに対する回答です。実際に眼に見える形でご自分の力を示されたのであります。

 そして、眼に見える形での結果を示す方法であり、「その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。」と言う癒しの奇跡の成果から、病の癒しと言う行為のさらに深い部分にある、その人の罪の赦しと言う行為についても証明して見せたのでした。

 この一連の出来事を見ていた人々は皆驚き、『「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。」』のでした。

イエス様が人を癒すだけなら、癒してあげよう、病気は良くなった、健康で過ごしなさい等と言われるだけで十分だったでありましょう。他の場面で人々を癒される時に罪の赦しの宣言をそのたびに行われていないことから明らかです。

 今回の癒しの奇跡の物語は、中風の人を連れてきた人々が、屋根を剥がしてまでイエス様の近くに中風の人を下した行為に対して、イエス様がその信仰に感心されて行われた奇跡であったことは確かであります。しかし、この度の癒しの奇跡が特別であったのは、癒しの奇跡の中に更に深い意味として、人の罪を赦す権威を人の子であるイエス様はお持ちであることを示されていることであります。

 私たちは、イエス様が与えて下さる恵みを、聖書を通して教えられ続けています。この恵みと神の赦しを伝道献身者は伝えているのであり、教会員も伝道献身者と共に、自分に与えられている恵みを、自分の周りにいる人々から初めて多くの人々へと伝えて行ければと願うものであります。

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