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聖書に書いてあるとおり

                                                                        説 教 「聖書に書いてあるとおり」 岸 敬雄伝道師

             聖 書 イザヤ書53章5~12節 コリントの信徒への手紙一15章3~11節

 本日は終戦記念日です。あの第二次世界大戦の尊い犠牲があったことを思い返し、平和の大切さを今一度再確認し、平和と後世へと伝えていく思いを新たにする日です。

 しかし、第二次世界大戦後においても世界では多くの戦争が繰り広げられてきています。真の平和とはイザヤ書53章で言われている苦難の僕によって与えられた平和しかないのでありましょう。

 新約時代以後イザヤ書53章に言われている苦難の僕とはイエス・キリストのことであると読まれてきました。

本日のコリントの信徒への手紙一15章3節では、私があなたがたに伝えた事の最も大切なことがなんであるかを言っているのです。それは、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」だと言っています。ここで言われている聖書とはもちろん旧約聖書の事に成りますが、特定されてはおりませんがイザヤ書53章もイエス・キリストの苦難を良く表しているところとして、パウロが言っている聖書の箇所の一つと見ても良いと思われます。

 パウロたちが伝えた福音、神様の私たちに対する救いの計画、その核心は主イエス・キリストの死と復活であると言っているのです。そして、この福音の核心は、私たちが旧約聖書と呼んでいる、パウロたちにとっての聖書にも書かれているものであり、旧約聖書の頃から連なる神様の計画であると言うのです。

 旧約聖書の時代から通して言われていることとして、キリストが、わたしたちの罪のために死んだこと、 葬られたこと、また三日目に復活したこと、このことが、私たち主イエス・キリストを信じる者にとって、最も大切な事として伝えているのです。

 そして、この一番大切な事を証拠付けるために、証人についてパウロは、語り始めるのです。この主イエス・キリストが復活した事実の証人とし、始めに、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。はじめにケファすなわち十二使徒であり弟子の筆頭のような存在であるペトロに現われて、その後十二人、すなわち、使徒である十二人に現われた事を語るのです。

次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています、と語るのです。復活の証人は、使徒だけではなく他の弟子たち五百人以上もいて、ほとんどの人は今でも健在で生きていると言うのです。

それからまた使徒の話を戻して、今度はペトロではなくペトロと同様にイエス様の宣教の初めから共にいたヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、「月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」と語るのです。パウロ自身は自分が使徒であるという自覚があるのですが、それは他の使徒の様にイエス様が宣教を始められた最初の時より一緒に行動をしていたのではなく、特別な形で召された使徒であると言う自覚も持っていたのです。

 だからこそ、「月足らずで生まれたようなわたし」と言う言い方をしているのであり、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」と言っているのです。それにもかかわらず、パウロ自身は、神から異邦人へ福音を宣べ伝える為に召された特別の使徒であると言う自覚ははっきりと持ち続けているのです。

 なぜそのような自覚を持つことが出来ているのかと言えば、ひとえに、神の恵みによって今日の自分があるのだと言い、さらに、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、他のすべての使徒よりずっと多く働いたとパウロ自身が言っているのです。

 しかし、他のすべての使徒よりずっと多く働いていたと言っても本当に働いていたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みだったと言うのであります。

 「わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし」と言い、決してパウロだけが、これまで宣べられていたのではなく、皆が宣べ伝えている福音なのだから、あなたがたも信じたのだとのであろうといます。そしてこれからも信じ続けるようにと願っているのであります。

 パウロたちが宣べ伝えてきた、旧約聖書の時代から聖書に語り伝えられている福音の核心である、主イエス・キリストの死と復活に対する信仰を私たちも持ちつつ、この信仰に希望を持ち、パウロが神様の恵みによって、主の福音を人々に伝えたようにと願うのです。

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