過去の説教

あなたがたは知らないのですか

 本日のイザヤ書43章は第2イザヤと呼ばれる部分だと言われます。イザヤ書と言えばイザヤと言う名前の預言者が活躍した時代の物語だと思いがちですが、イザヤ書とは大きく分けて3つに分けることが出来ますが、その二番目にあたら第2イザヤです。この43章で語り掛けられている対象の人々は、バビロン捕囚でバビロンへ連れていかれていた人々だったと言われています。

 そのような、異邦人によって、捕囚の民となっていた人々に対して、このイザヤ書の作者は、創造主であられる主が、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」と力強く救済を述べている、と言うのです。

 このイザヤ書43章1~6節までは、二重構成に成っていて、1節4節、2節5節、3節6節が内容的に繋がっています。全てをくまなく見て行く時間もないので、今回は1節と4節のみを見てみます。

 1節で、主が創造主であることを言い表された後に、「主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」と語られているのです。そして、4節では「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。」と言うのです。1節では救いの宣言がなされ、4節ではその理由が述べられます。主は自分に背いたイスラエルの民に対して「わたしの目にあなたは価高く、貴く」と言われるのです。

 なんと力強い救済の言葉、恵みの言葉ではないでしょうか。なぜ、異邦人に囚われの身となっている人々にこの様な共済の言葉が語られたのでありましょうか。

 神の言葉に聞き従わず、自分の判断に頼って、神に対すして裏切り行為を行ったことが原因でバビロン捕囚となった人々に対して、本来ならば、この様な苦境が自分たちに襲いかかったことを思い知らせ、その原因を追究して、責任者を徹底的に罰を与えるように考えても不思議でないはずです。それ何に主は自分を裏切った民をわたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛していてくださることが言い表されているのです。

 私たちも長い人生の中においては、自分の価値を見失ってしまう時もあるのではないでしょうか。自分の価値が全く分からなくなってしまう、そんな時にこの御言葉は、まさに私たちの救いと成るのではないでしょうか。

 神様からの恵みについて、具体的にパウロは本日のローマの信徒への手紙で「それともあなたがたは知らないのですか。」と言うのです。はたして何を知らないのかと言えば「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」というのです。洗礼により新しい命に生きると言うのです。

 私たちが教会員となる時に受ける儀式として、洗礼と言う儀式があります。形式としては頭に水を三度振りかけたり、川やお風呂のようなバプテスマフォントなどと呼ばれる施設で、全身を水に沈める儀式を行いますが、先ほども申しましたが、この儀式は教会に入会するための儀式です。しかし、それと共に、洗礼とはキリストと共に葬られることであり、イエス・キリストの死にあずかることであると言うのです。

 そして、イエス・キリストの死にあずかると共に「御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるため」だとも言うのです。

 「わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」とキリストの死と共に、その復活に従って新しい命、永遠の命にて生きる事となったのだと言っているのです。私たちへの神の恵みの最も大きいものが、まさにこの新しい命、永遠の命でありましょう。

 この新しい命に生かされるようになった者について「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」と言って、罪から解放されることを知ってい事実であると言うのです。

 そして、「死んだ者は、罪から解放されています。」と言うのです。しかし、ここで死んだ者とは、ただ単に肉体の死を迎えた者と言うのではなく、キリストと共に死んだ者であり、この罪から解放された者はキリストと共に生きる者のことなのです。

 罪から解放されて、キリストと一体となり新しい命に生きる、まさにこれこそが私たちが教会に入る時に受けた洗礼で約束されたことであり、その後のクリスチャンとしての生活の中心となる恵みなのであります。

 

 

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