過去の説教

愛を知るように

復活節第7主日礼拝

説 教   「愛を知るように」   岸敬雄伝道師

聖 書  詩編27編7~10節 エフェソの信徒への手紙3章14~21節

 新型コロナウイルス蔓延の影響で、札幌は蔓延防止等緊急処置から緊急事態宣言へと変更に成り、より一層の外出自粛などが求められるようになりました。今後の礼拝の持ち方について、考えなければ成らないと思います。

 次週は、ペンテコステ、聖霊降臨日に成ります。本日はその前週の昇天後日と言われます。

 イエス様が天に帰られて、聖霊が与えられるまでの間弟子たちは、イエス様が言われた聖霊を与えると言う約束を信じて祈りを持って待ち続けていた時期に成ります。しかし、弟子たちの心中はどうでありましたでしょうか、不安だったのか、聖霊が与えられる希望と喜びに満ちあふれていたのでしょうか。それとも迫害者にびくびくしながら過ごしていたのでしょうか。その様な詳しいことは聖書には書かれていませんが、コロナ過にある私たちはある意味、この時期の弟子たちの複雑な思いと共通の思いを感じているのではないでしょうか。

 昨年と違いワクチンでいくらかは先が見えているような気がしても、目の前は以前より大変な状況にある。そんな複雑な思いの中でも、本日読まれました詩編27編10節で 「父母はわたしを見捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。」と言われているように一番身近な父母が見捨てようとも主は私たちを引き寄せて下さるのです。私たちが必死に願い求めていくのではなく主の方から必ず引き寄せて下さるのです。

私たちも混沌とした中に置かれている現在において、エフェソの信徒への手紙の中にある祈りから聞いていきたいと思うのです。エフェソの信徒への手紙の中には、初めに1章15~23節で、感謝と執り成しのための祈りを捧げています。そして、本日の3章においても、同じ執り成しの祈りがささげられていますが、執り成しと共に奥義を知るようにと祈っているのであります。

 はじめに、御父の前でひざまずいて祈ると言うのであります。そして「御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。」と言うのであります。

 御父とは、もちろん父なる神である天父のことであるのは確かでありますが、その御父からすべての家族がその名を与えられている、とはどのような事を言っているのでしょうか。

 それは、天にあるものも地にあるものも等しく天父なる神によって創造されたものであると言うことを示しているのであり、天父なる神がすべての創造物の父であると言っているのです。その天父に対してひざまずいて祈りを捧げていると言うのです。

 そして、天父がその豊かな栄光に従って、御父の力、すなわち天父の霊である聖霊の力によって、エフェソの人々に対して、「あなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」と祈るのであります。

 あなたの内なる人とは、外なる人、肉が象徴する眼に見える人と対照的に、内なる人、すなわち目には見えないけれども確実に私たちの中にいる霊としての自分を強めてくれるようにと祈っているのです

 肉体なら色々な形で訓練することによって鍛えることが出来ることは知られていますが、私たちの内なる人を強めるのは信仰によってであり、さらに信仰によってキリストを私たちの中に住んでいただけるようにと、言っているのです。

 ただ、キリストは御一方であり、全ての人々の中に住まうことは無理なようにも感じますが、それはまさに三位一体の神として、イエス・キリストと共に一体である聖霊なる神の力で行われる業なのであります。全て主イエス・キリストを救い主として受け入れている人々の心の中には、救い主なるイエス・キリストが住んでいていただくことが出来るのであります。まさに、これはキリスト教にとっての奥義と言えます。

 そして、愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように祈っているのであります。愛を知ることによって、愛に根ざすことの大切さを示しているのです。さらにキリストの愛について語り続けて行くのです。

 キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように、と言うのであります。さらに、人の知識をはるかに超えた愛、そして、神の満ちあふれる豊かさに満たされるようにと祈るのです。

 そして、今この手紙を読んでいるエフェソの教会の人々に対して、すべての聖なる者たちと共にと言い、エフェソの教会の人々を、その先輩となる聖なる者たちと同列に扱う様に扱い、さらに、わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えて、かなえることのおできになる方である天父なる神に対して、 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、と言って祈りをまとめているのです。

 天父に対して、栄光を世々限りなくあるようにするのは、イエス・キリストと共に教会によると言うのであります。私たちも教会において天父に対して栄光を捧げて行くことが出来るのであります。

  私たちはキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えた愛、そして、神の満ちあふれる豊かさに満たされるようになるのです。そして、この恵みに対して主に栄光を祈り続けるのです。今週も主の愛に包まれて歩み続けて行くのであります。

 

 

アーカイブ