過去の説教

求めよ、探せ

復活節第6主日礼拝

説 教   「求めよ、探せ」  

聖 書  箴言30章7~9節 ルカによる福音書11章5~13節

岸敬雄伝道師

 本日は創立49周年の創立記念礼拝を捧げています。世の中で言えば5月の第2週は母の日として認識されているのではないでしょうか。

 例年ですと教会学校の子どもたちからお母さんたちに対して、赤いカーネイションのプレゼントがあったりして、より一層華やかな雰囲気となるのですが、今年はそのような事もなく非常に残念な思いがします。

 創立記念礼拝としては、例年ある礼拝の後にある愛餐会の時間などを通して、創立時のお話などをお聞きすることが出来る、大変貴重な時間を持てるのですが、今年はそのような時間を取れず、大変残念であります。しかし、創立時の人々が求めていた精神を忘れずに持ち続け、大切に継承して行くことが大切だと考えるのです。

 イエス様は本日読まれました聖書の箇所に置いて、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」と言われるのであります。私たちが求める時に必ず与えて下さると言われるのであります。しかしそれは、待っていれば与えられると言うのではなく、探し求めることによって見つけ出すことが出来ると言われるのであります。

 現在の札幌中央教会は、創立時当初に求めていたものの中で与えられた物も多くあるでありましょう。しかしなおも、私たちは探し続けて行かなければ成らないのではないでしょうか。

 そして、創立当時には考えられなかった困難も、現在の私たちの前にあることも確かなことであり、その困難の中においても私たちは、先人たちが伝えて下さった信仰を守り続け、そして神の御業を進めていく使命を果たしていく道を、探し求めて行くことが求められていることも確かでありましょう。

 現在の困難な事態の一例としては、現在私たちは、今まで体験したことの無い新型コロナ禍と言う現状の中で、信仰生活を送って行くことを余儀なくされています。

 しかし、これまでに経験したことの無い困難の中にあったとしても私たちは、互いに知恵を出し合い、互いに助け合いつつ、確かな歩みを進めていくべきなのであります。

 昨年の創立記念礼拝は教職と役員及び僅かな教会員で礼拝を守りました。今年の新型コロナの状況は、決して昨年より決して改善していると言える状況にはありませんが、神様の御業を進めていくために、方法を探し求め、試行錯誤しながらも進んでいかなくてはならないのです。

 イエス様は、求めることの大切さを本日読まれました聖書の箇所において、一つのたとえ話を用いて弟子たちに語られています。真夜中に、旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのでパンを三つ貸してくださいと、友の所にパンを借りに行ったと言うのです。

 夜中にパンを借りに来た人がいても、家の人が『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』と答えるのは、当然のことだと思えます。

 それに対してイエス様は、「しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。」と言われるのであります。

 イエス様のお言葉としては少し意外な気がするのではないでしょうか。なぜなら友としての繋がりよりもしつこく求める方が有効であると言うのであります。もちろん、これはたとえ話でありますが、その後に「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。」と言われているのであり、「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」といわれ、「求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」と言うのであります。私たちに探し続けるように、求め続けて行く様にと求めていらっしゃるのであります。

 そして、私たちが求めている時には、必ず神様は与えて下さることをイエス様は保証していてくださっているのであります。

 私たちは御言葉を信じ、イエス様を信じて、聖霊の導きに従って、どの様な困難が降りかかってこようとも雄々しく進んでいくのであります。

求めなさい。そうすれば、与えられるのです。探しなさい。そうすれば、見つかるのです。門をたたきなさい。そうすれば、開かれるのです。そしてこの開かれた門はどこへと繋がっているもんなのでしょうか。それは救いへと繋がっているもんなのであり、イエス様の十字架へと繋がっているもんなのです。

 私たちは教会へ入る時にこの門をくぐりました。しかし、時として新しいもんに出くわした気がするする時があります。言い換えれば壁にぶつかるような気がするのです。その様な時でも、たたき続けるのです。元得続けるのです。そして必ず叶えられると信じながら。それが私たちが欲するのと異なることであるかもしれませんが、後に成って振り返ってみれば、主の思いが働いていたことが分かるはずであります。私たちの思いではなく主の思いが成っていることを。

 「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」といわれ、「求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」と言うのであります。

 それは「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。」と言われている通りであります。そして、「求める者に聖霊を与えて下さる」と言われるのであります。私たちの守り手として、そして導きを与えるものとして聖霊を与えて下さると言われているのです。 

 私たちは御言葉を信じ、イエス様を信じて、聖霊の導きに従って、どの様な困難が降りかかってこようとも雄々しく進んでいくのであります。

 私たちを愛して下さっている御父の愛を信じて、求めれば与えられるとの御言葉を頼りとして聖霊の導きの中に道を過たずに進んでいくのです。

 

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