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愛を身に着け

復活節第5主日礼拝  

説 教 「愛を身に着け」  

聖 書  詩編19編9~12節 使徒言行録17章22~34節

  岸敬雄伝道師

 コロサイの信徒へ向けって手紙を送った使徒パウロは、あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですからと言い、コロサイの信徒が神に選ばれた人々であり、そして聖なる者とされて、愛されている。誰が愛して下さっているかと言えば、神が選んでくださっているのですから、神が愛して下さっているのだと言うことは間違いないでしょう。 

神様が愛して下さっているから、神様が愛して下さることに対して、個人としては、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けるようにと勧告しているのです。そして続いて、集団に対して 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい、と勧告するのでした。

 私たちが毎週祈っている、主の祈りの中で「我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」と祈っている様に、私たちが人々の罪を赦すことが出来るのは、まず初めに私たちが神様から赦しを与えていただいていることが根拠となっているのです。

 さらに、互いに責めるべきことがあっても、赦し合うこと、そして、加えて愛を身に着けるようにと勧めるのです。ここで言われている愛とは、男女の愛とか親子、兄弟の愛と言うのではなく、神様の示されている愛(アガペー)のことです。

 なぜ、そのような愛を身に着けなければ成らないのかと言えば、それは、愛がすべてを完成させるきずなだからだと言うのです。言い方を変えるならば、愛がすべてを完成する鍵なのであって、人と人との関係を完成させるものは愛だと言っているのです。

 全てを完成させる愛を身に着ける為にどの様な方法があるのかと言えば、その方法として、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさいと勧めるのです。このキリストの平和は、まさに人と人との関係の構築にとっては一番大切な資質の一つであり、このキリストの平和にあずかるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです、とまで語るのです。一つの体となる為に愛を持ち、キリストの平和によって結ばれるのです。

 キリストによって一つの体となるのは、どこで実現するのでしょうか。それはまさに教会において実現すべきものであり、実現しなければ成らないものなのであります。

さらに、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさいと言うのであります。

 私たちが互いに愛をもって、キリストの平和によって一つの体となると共に、神様に対しては、詩編と賛歌と霊的な歌により感謝して、その上で心から神をほめたたえるのです。私たちは神様に対しては感謝とほめたたえるべき者なのであり、その方法として詩編と賛歌と霊的な歌によるのです。私たちの思いではなく詩編や賛歌や霊的な歌によって、教会の中の人々は、心を一つにして、感謝して神様をほめたたえる。すなわち神を賛美すると言うのです。もちろん個別に祈りを捧げるような感謝や讃美も必要なものであるのは確かでありますが。

 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、主イエスによって、父である神に感謝しなさいと言うのであります。

 私たち個人の思いで行うのではなく、主イエスの名によって行っていくのです。

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