過去の説教

信仰によって生きる

説  教 「信仰によって生きる」   

岸 敬雄伝道師  

聖 書 ハバクク書2章1~4節 ローマの信徒への手紙1章13~17節

 

 パウロは、「わたしは福音を恥としない。」と本日読まれた聖書箇所で、はっきりと言いきっています。私たちもパウロのように、はっきりと宣言できる信仰を持っていきたいと願うものであります。しかしなぜ、パウロは「信仰を恥としない」とはっきりと言い切る必要があったのでしょうか。

 

 それは、本日読まれた聖書箇所の先において、「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」と真理を妨げる人々について言っていること、関係しているのではないでしょうか。自分が信仰している真理について、妨げる人に対して、「自分は信仰を恥としない」とはっきり宣言しているのです。

その姿は、旧約聖書でハバククが言っている「正しい者は信仰によって生きる」生きている者の姿そのものです。

 パウロの周りにも不信仰な者がおり、さらに、ユダヤ人などからの迫害の手も伸びてきています。パウロはキリストへの信仰のゆえに困難な状況にあったと言っても良いのでありましょう。

 本日の読まれました聖書箇所を追って、パウロが信じている、その信仰の中心となる真理とはいかなるものであるかを見て行きたいと思います。

 パウロは、ローマの教会に宛てて、兄弟たちと呼びかけています。パウロはまだ福音を知らない人々に対して話しかけるのではなく、福音の中にある教会の兄弟姉妹に対して、話しかけているのです。

 そして、パウロはローマの教会に対して、今まで何度かそちらに行こうと試みてはいるが、行く計画を立てているのも関わらず、妨げられていると言うのです。パウロ自身の行動が、それほど自由なものではないことを表しています。

 その様なパウロが、ローマの教会に対して、「ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと」望んでいるのであり、その為に、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのだと言う事を、ぜひ知ってもらいたいと、そちらに行きたい動機を述べています。。

 ここで、パウロが異邦人の所と同じくローマの地において得たいと望んでいた「何か実り」とは、財産を得たり、食料を得たりするような、実りを得たいと考えていたわけではないことは明らかです。ここでの実りは、次に言われている、パウロの責任と関係があることは確かです。

 パウロは、「ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」と言うのです。それは、知識がある人たちも、無い人たちに対しても、すなわち、文化の高い人々も、低い人々も関係なく、パウロは異邦人全てに対して責任があると言うのです。だからこそ、「ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたい」と言うのです。

 パウロがぜひとも告げ知らせたいと願っている福音こそが、パウロの真理なのです。パウロは、自分の責任は、福音を宣べ伝えることだと言いっているので、パウロが言っている実りとは、福音を伝えることによって得られる実りなのです。そして、実りを与えてくれる信仰について、さらにパウロは、話を進めて行くのです。

 パウロは、「福音を恥としない。」と言っています。なぜ改めて福音を恥としない、などと言わなければならなかったのでしょうか。パウロは、迫害に対して、福音、善きおとずれを恥としないと言っているのです。なぜ、恥としないかは明白です。その理由は、「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だから」だと言うのです。

 パウロが言いっていることは、まさにその通り、真実です。私たちを救いは、まさに福音によるのです。

 文明の進んでいる国も、まだ進んでいない国であろうとも、はじめに救いが伝えられたユダヤ人であろうが、後から伝えられたギリシア人であろうが関係なく、福音は、全ての人々に区別なく、救いをもたらす神様の力だからと言うのです。

 この救いの力である福音は、今教会に集っている私たち一人ひとりにも働いている力に、違いありません。

 そして「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」と言うのです。信仰を通して実現されるのは、「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。』と言うのです。

 信仰によっては、本日の旧約聖書の箇所であるハバククで言われていた様に「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」とあるように、神に従う正しい者は、信仰によって生きると言うのです。

 では、その信仰によって生きるには、どの様にすればよいのでしょうか。それは、まさに、イエス・キリストの十字架に対する信仰に生きるのです。私たちの救い主、主イエス・キリストへの信仰に他なりません。

 神に従う正しい生き方とは、まさに、この主イエス・キリストに対する信仰に立った生き方以外に無いのです。まさに、それが、パウロが伝えている福音であり真理なのです。

 

 

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