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ザカリアの預言

説 教 「ザカリアの預言」

聖 書 詩編68編22~36節 ルカによる福音書1章67~79節

  岸 敬雄伝道師

 本日詩編68編18~21節は先週の詩編の部分の続きに成ります。この詩編の歌い手は、神様の姿を、敵を打ち破り自分たちを各地より連れ帰って聖所へと進行して行く王の姿として幻のように神様の様子を見ています。

 その進行していく様子として、歌い手を先頭に、次に楽を奏するもの、特に清らかな象徴としての乙女らが太鼓を打つ者もいたと言うのです。そして楽に続いて聖歌隊が続き、神様をたたえるようにと言うのです。

 そして、この隊列には、各部族から君侯らもこの神の行進には加わっていると言うのです。そして、エジプトやクシュも地の王国も神に向かい、主をほけたたえると言うのです。それは誰にであるか、いにしえよりの高い天を駆って進む方にであり、その神は御声を、力強い御声を発せられる、というのです。

   神よ、あなたは聖所にいまし、恐るべき方、イスラエルの神は御自分の民に力と権威を賜る。そんな神をたたえよというのです。そんな、力ある神に、そして、その神がいると言われている聖所、イエス様の時代で言えば、その聖所の代表的な場所である神殿で、本日のルカによる福音書でザカリア呼ばれている人は祭司としてとして勤めていたのでした。そして、父ザカリアは聖霊に満たされ預言したと、語り始めます。

 父ザカリアとはだれの父なのでしょうか。そして、誰に対する預言を始めたのでしょうか。その答えは、まず誰の父となるかと言えば、ザカリアは後に洗礼者ヨハネと呼ばれるようになる人物の父親です。そして、預言されている人物は、生まれて七日目の命名の儀式を受けようとしている息子となります。

 ザカリアの息子である洗礼者ヨハネと言う人物が、どの様な働きをした人物かと言えば、詩編で神様の前に楽を奏したリ、賛美を捧げて歩んでいった人々のように、イエス様が宣教が開始されるのに先駆けて人々に悔い改めを述べ伝え、悔い改めのしるしとしての洗礼を授ける働きをしたのでした。そして、イエス様にも洗礼を授けた人物なのです。

 洗礼者ヨハネの誕生の前にも不思議なことが色々とありました。そのために人々はこの子は一体どのような人に成るのだろうかと不思議がっていたのでした。洗礼者ヨハネの父親であるザカリアと母であるエリザベトは正しい人でしたが、年を取るまで子供に恵まれることがありませんでした。

 跡継ぎである子どもがいないことは二人にとっては大変な苦しみでした。ですから二人とも長らく神様に子供がいない事での苦しみを訴え続けていたのでした。

 ザカリアの職業は祭司であったので、神殿で神様に仕えていました。そして、ある時ザカリアに、くじ引きによって神殿で香を焚く役割が回って来たのでした。神殿の中で香を焚く役割は大変重要なもので、当時では祭司でも生涯に一度しかその役割は回ってこなかったと言われるほどのものです。

 ザカリアが神殿の中で香を焚いている時に、ザカリアに天使が訪れたのでした。そして、「子供が出来る」と告げたのでした。そして、ヨハネと名付けるようにと告げたのです。 しかし、ザカリアは自分と妻は年を取っていたので信じることが出来ないでいると、善きお告げを信じなかったので、このお告げが実現するまで口がきけなくなる。と天使から言われ、その通り口がきけなくなってしまったのです。

 そして、ヨハネが生まれ、その名をヨハネと書き板で示した時に、はじめてザカリアは口がきけるようになり、神様を賛美したのでした。この様な不思議なことがあったので皆人々は、この子はどの様な人になるのかと不思議がっていたのでした。

 そのように不思議がられたヨハネに対して、父のザカリアは、聖霊に満たされて神なる主を讃美しながら預言を行なったのでした。

 その予言の始めには、まずこの出来事は、古の聖なる預言者の言葉を通して予言されていた出来事だと言い、古の預言者によって伝えられてきた救いの言い伝えを詩編やイザヤ書の言葉を引用して語り出すのです。

 古の預言者たちから伝えられた救いの預言とは、敵からの救いのことであり、この救いの業は神様との聖なる契約であり、神様が先祖のことを憐れみ、覚えていてくださっているからだと言うのです。そして、この神様との契約は、自分たちイスラエル民族の父祖であるアブラハムに対して、神様が誓われたことにまでさかのぼると言うのです。

 そして、わが子である目の前の幼子に対しての預言が具体的に始まるのです。神様が敵の手から救い出してくださり、恐れなく主に仕えることが出来ると言うのです。そして、生涯、主の御前に清く正しくあって、いと高き方の預言者と呼ばれる、というのです。

 そして幼子は成長し、主に先立って行き、主の歩まれる道を整える働きをすると言うのです。それは主の民に罪の赦しによる救いを知らせる働きだと言うのですこの主の民に罪の赦しによる救いを知らせる働きこそが、後に洗礼者ヨハネと呼ばれ、民に悔い改めを勧め、洗礼を授ける働きだったのです。

 最後に、「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」と平和の道に導いて下さるイエス様についての預言を行って終わるのです。

 私たちは、この高い所から訪れられるイエス様が開いてくださり、導いて下さっている、この平和の道を歩み続けて行きたいと願うものなのであります。

 

 

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