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私の言葉は

説 教 「私の言葉は」  

 岸 敬雄伝道師  

聖 書 詩編68編18~21節 ルカによる福音書21章25~33節

 

 詩編の68編の作者は、自分たちの神、自分たちが住んでいるシナイの土地の神であるイスラエルの神は、戦車は幾千、幾万もあると言う言い方で、その御方の力を誇示しています。

 シナイの土地と言うのは、エジプトやバビロンなどと言う大国の間に挟まれた交通の要所と言えますが、小さな地域にすぎない土地であると言うことも出来ます。

 そのシナイの土地に住んでいる住人、すなわちイスラエルの民は、自分たちの独自の神を礼拝しているのです。そして、この神は周りの国々の様に多くの神々を礼拝しているのではなく、唯一無二の神である、天地創造の神、真の神である天父なる神を礼拝していと言う誇りをもって自分たちの神の力を誇っているのです。そして、その力ある神が凱旋してくる様子をとして、本日の詩編は歌われているのです。さらに、力ある神は、聖所におられると言うのです。

 この力ある神はどの様なお方であるかを言い表しているのです。それは、具体的には、救いの御業の神、そして、主であり、私たちを死から解き放って下さる神はであると言うのです。

 私たちを救って下さり、ご支配される神は、その支配の中にある者、すなわち救いに入れられている民にとっては助けであり、死からの解放であると言っているのです。

 この最終的な救いの主こそが、天地創造の神である天父なる神と救い主なる主イエス・キリスト、そして、私たちの導き手である聖霊なる神、私たちが信仰している三位一体の神なのです。

 詩編の作者である旧約聖書の民は、その中の一面として御一方の神としてとらえていたのです。そしてその神に救いの願っていたのです。私たちは新約聖書を通して神の別の側面である御子、主イエス・キリストを知ることが出来ていることに感謝しているのです。

 主イエス・キリストの降誕を祝う時に同時に、待降節の入る以前にも私たちが再びイエス様がこの地上においでくださることを望み続けていた様に、クルスマスに対しても再臨の望みを重ねて望み続けて行くものでもあるのです。

 本日のルカによる福音書の箇所は、イエス様の再臨の時の徴についての教えと言う事に成りますが、再臨の時、言い換えるならば終末の時には、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る時であり、その前には、地上では、エスサレムは異邦人によって踏み荒らされると共に、太陽と月と星に徴が現れる、といわれるのです。

 この太陽と月と星に徴について具体的にはこの場面には書かれていませんが、使徒言行録の2章20節でペトロが説教している中で、旧約聖書のヨエル書の引用として、「 主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。」と言っています。ほかにもイザヤ書やヨハネによる黙示録などにもその徴についての記載を見ることが出来ます。

 地上におけるイスラエルのように地域に限定されたものではなく、全地球的な徴が現れると言うのです。それも、地上では海がどよめき荒れ狂うと付け加えられているのです。その様な大規模な天変地異が起こることによって、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る、というのです。

 全世界的な天変地異によって人々が、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失う、そんな時にさらにしるしが与えられると言うのです。

 それは何のしるしかと言えば、それは、イエス様に対して敵対するものに対しては裁きのしるしであり、イエス様を信じ従うものにとっては、イエス様が私たちの救い主として私たちの王として即位されることの確信を得ることが出来るしるしなのです。

 その様な異変が起こり始めたら、「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」と言われるのす。とても恐ろしい天変地異だとしても、決して私たちにとっては悪いしるしではないと言うのです。私たちの解放のしるしだと言うのです。何からの解放でしょうか。それはまさに私たちを縛り付けている罪からの解放なのではないでしょうか。そして物理的に言うならば、地上において異邦人によって踏みにじられるような苦難をはじめ、多くの天変地異によって与えられた苦難も含めた、あらゆる苦難からの解放の時が近いしるしだと言うのです。

 そして、世界全体に対する天変地異が起こったとしても、それまでのイエス様は、私の言葉は最後の時まで滅びないと言われるのです。言い換えるならばどんな苦難の中においてもイエス様の伝えられた福音、善きおとずれの使信は滅びる事が無いと言われているのです。

 イエス様は、決して楽な事だけしかないとは言われません。言え、むしろ苦難があることを予言されています。しかし、その様な苦難の中においても、決してイエス様によってもたらされた救いの希望、福音、イエス様のみ言葉は、天地が滅びるとしても滅びることはないと言われているのです。

 さらに、イエス様は、時を見誤らない様にと、いちじくの木やほかの木を持って話されるのです。

 「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。」と言われるのです。

 日本では若葉が出るのは春と言う事に成りますが、イエス様がいらっしゃるイスラエルの地域では日本よりも、もっと季節の移り変わり激しいようです。イチジクの木は、葉が出て実がなる時期は夏だと言うのです。

 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。と言われるのです。多くの苦難が訪れてくるとしても、それが、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。と言うのです。そして、すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。と言われるのです。

 イエス様がこの地上に来ていただいた時から神様のご支配は、その救いを信じる者に訪れています。イエス様によって体現された救いは決して失われることは無いのです。

 たとえ天地が失われようとも、どの様な苦難が襲ってこようとも、私たちの救い主なる主イエス・キリストがこの地上においでになって下さった、このクリスマスの喜びを忘れる果てることは決してないのです。いかなる苦難からも救い出してくださる救い主、主イエス・キリストに対する感謝を新たにし、クリスマスまでの日々を過ごして行きたいと願うのです。

 

 

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