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「あなたの罪は」 

説 教  「あなたの罪は」  

   岸 敬雄伝道師  

聖 書 詩編119編121~128節   マルコによる福音書2章1~12節

 

 マルコによる福音書では、イエス様が宣教を始められて4人の漁師を弟子とされた直後から、イエス様の病人を癒す働きを行っていて、多くに人々に広く知られていたことが、描かれています。そして、本日の聖書箇所は、イエス様がガリラヤ湖北西部にあったカファルナウムと言う町に行かれた時のお話しです。

 マルコによる福音書の1章21節で、「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」と書かれています。汚れた霊の口を通しても、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と言われているように、イエス様が、権威がある者であり、聖者であることをカファルナウムの民衆は認めていたのでした。

 それに対して、本日出てくる律法学者たちは認めていない様子が伺われます。その様子を、本日の癒しの奇跡の方から順番を追って見て行きたいと思います。

 イエス様の病人を癒す働きについて、多くに人々に広く知られていたことが、マルコによる福音書では、イエス様が宣教を始められて4人の漁師を弟子とされた直後から評判となって行っていたことが描かれています。そして、本日のお話しの舞台となる、ファルナウムに再びイエス様が来られたと言うのです。カファルナウムはイエス様が巡回して宣教を開始する前におられた所で、カファルナウムとはガリラヤ湖北西部にあった町だと言われています。

 人々はイエス様がカフェルナウムに戻られていることを聞いて、大勢の人が集まってきて戸口のあたりまで隙間が無いほどにまでなってしまっていたのでした。そして、イエス様がお話をされている所に中風の人を運んできた4人の人が来ました。

 中風と言う病気は、具体的にどんな病気だったかは、今となっては想像するしかありませんが、症状として現在の脳出血などによって麻痺が残って身動きに困難を生じているような症状でした。

 ですから、今日運ばれてきた人も、自分一人で歩いてくることが出来ず、人々は戸板の様な簡易な寝床に寝かせたままで連れてきたのでした。

 しかし、この病人を寝かせたままで、人ですし詰めになっている入り口からイエス様のもとに連れて行くことが出来ませんでした。しかし、この中風の人も、連れてきた人も、どうしてもイエス様の所まで行きたいと願ったのです。

 イエス様なら必ず癒してくださると言うイエス様に対する強い信仰があったからです。そして彼らは思いもよらない方法を取ったのです。

 それが、イエス様がおいでになる所の近くの家の屋根を剥がして穴をあけ、イエス様の近くに病人を下したのでした。イエス様は、この様な事までする信仰に感心してこの中風の病人を癒されたのでした。

 イエス様が「あなたの罪は赦される」言われたのです。許される、と言う言い方に、日本語的には少し違和感を感じる方もおられるかもしれません。

 日本語だと、「赦されるでしょう」と言うような未来形や、「赦されました」いと言うような過去形が普通のように思われますが、「赦される」とは原語のギリシア語においての時制は現在時制と言って、今この時、赦しの行為が行われたことを言い表しているのです。過去でもない、未来でもない、イエス様がお言葉を発した今、この時罪の赦しの奇跡が行われたのだと言うのです。

 この様に病気の癒しが、罪の赦しによって訪れると言う考え方は、当時のユダヤ教の考え方の中に、病気とは罪の結果だと言う考え方があったからだと考えられます。

 しかし、イエス様がこの中風の人を癒される時に「子よ、あなたの罪は赦される」と言った言葉に対して問題だと思っていた人たちがいたのでした。この「子よ、あなたの罪は赦される」と言うイエス様の御言葉に対して問題だと思っていた人々は律法学者という律法の専門家たちでした。

 罪の赦しを与えることが出来るのは神様しかおらず神様によって許されたことを宣言することはできたとしても、イエス様が言われた言葉は自分自身の権能によって罪を許した宣言であると律法学者たちは理解したのです。

 イエス様は、神様しか出来ないはずの許しを自分もできるように言っている。それは神を冒涜した言葉であり、神を冒涜することは、当時では死罪に当たる大罪だったのです。

 イエス様は、律法学者たちが心の中で、この様な事を考えていることをすぐにお察しになると、なぜそのような事を考えるのかと言われて、中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか、と問いかけるのでした。

 そして、答えが返ってこないのに対して、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言われ、中風の人に「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」と言われたのです。人の子、すなわちイエス様がこの地上において罪を赦す権限を持っていることを示されたのです。

 中風にかかっていた人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行ったのでした。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美したのでした。疑念を持った人々がどうしたかではなく、人々が驚き神を賛美したことによってこのお話は終わるのです。地上において、本来神様しか持っておられないはずの罪を赦す権能をイエス様が行使したことによって、イエス様が神であることを示されたのです。人々はそれを驚き神を賛美したのです。

 

 

 

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