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燃え盛る炉

説教「燃え盛る炉」

 岸敬雄伝道師

ダニエル書 3章16~30節  ヨハネによる福音書5章 10~21節

 今日読まれました旧約聖書の始めに、王様のネブカドネツァル、それとシャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人の名前が出てきています。ネブカドネツァル王とは、バビロンと言う国の王様でした。このバビロンは、ユダヤの国を攻め滅ぼして神殿を破壊し、主要な人々を連れ去ってしまったのです。それがバビロン捕囚と呼ばれる出来事です。

 その時バビロンに連れてこられた少年たちを王様は、自分の役に立つようにと育てたのが、本日の3人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人と本日の旧約聖書のタイトルとなっているダニエルです。ただし、この名前はバビロンでの名前で、ユダヤにいたころには彼らの名前は、シャドラクはハナンヤ、メシャクはミシャエル、アベド・ネゴはアザルと呼ばれていました。この三人は、ダニエルの働きで州の行政官に任命してもらえていたのでした。

 そんな彼らに困難が襲い掛かって来たのです。それは、ネブカドネツァル王の命令で作った金の像の前にひれ伏して拝まなければならないと言われたのです。しかし、ユダヤから連れてこられた3人は自分の真実の神様以外には拝まないと決めていたのです。だから、バビロンの神々もにも従わないし、金の像を拝むこともしないと決意していたのです。

 怒ったネブカドネツァル王は、燃え盛る炉に3人を放り込もうとしたのです。すると、それに対して、3人は「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」と言ったのでした。

 神様が救い出してくださるとの確信を持っていました。しかし、そうでなくとも、つまり、神様が自分たちを助けて下さらなかったとしても、彼ら3人は自分たちの主なる神に従うと言うのです。

 彼らは以前にも、他の神様にささげられた肉を食べることを恐れて、すべての肉を食べることを避け、野菜と水だけで過ごさせてくれと申し出たことがありました。その結果、彼らの健康は、誰よりも守られて壮健に育つことが出来ました。しかし、今回も、そのようにうまくいく保証はありませんでした。それでも、自分の利益ではなく神様の思いを優先するようにと考えたのです。その結果として、彼らは守られたのであります。神様のことを中心に行う事こそが一番にすることが大切なのだと言うことが描かれているのです。

 ネブカドネツァル王は、燃え盛る炉の中に入れられた3人を導いているものがいることを王も見つけたのです。それはまるで神の子のように燃える、と言うのです。

 そして、慌てて彼ら3人を炉から出してみると服すら燃えていなかったのです。そこでこの3人の神をけなしたりする者は八つ裂きにすると王はお決めになって、その様に言ったのでした。王様は決してユダヤ人ではありませんでしたが、真の神様を認めざるおえなくなったのです。。

 本日の新約聖書のお話しの中で、イエス様が安息日に人を癒した時たからと言って、律法を破るものだと言われ、ユダヤ人たちから迫害され始めました。それに対してイエス様は、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」と言われたのです。イエス様が天父なる神様のことを御自分の父と呼んで、御自身を天父なる神様と等しい者とされたので、ユダヤ人たちは、ますますイエス様を殺そうとねらうようになったのでした。

 それであるにもかかわらず、イエス様は御父のみ旨をとことん実践なさいました。たとえ、自分がどの様な苦しく事と成ろうとも、そうです、十字架にかけられて殺されることに成ろうともであります。

 私たちも、自分の思いではなく主なる神様の思いをくみ取ってそれに従い、従い通して行くものとなりたいものであります。

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