過去の説教

後の者が先に

後の者が先に 

岸 敬雄伝道師

詩編   142編6~8節節  マタイによる福音書  20章1~16節

 

 本日のぶどう園での労働者の譬え話は、弟子たちに対してイエス様が、金持ちが天の国へ入る事に関

わり、「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入る

よりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」ともかも捨ててあなたに従って参りました。では、わ

たしたちは何をいただけるのでしょうか。」と言ったのに対して、イエス様が語られたのです。

 ぶどう園の主人は、最初に日の出に広場に出かけて行き、一日中働く人を探し、一日、一デナリオンの約束で仕事を与えたのです。一デナリオンとは、当時の一日の労働の対価としては適切な金額であったと考えられます。

 それから、再び主人は、九時ごろにも広場にい行き、人々を見つけて、今度は「ふさわしい賃金を払ってやろう」と言われたのです。決して、一デナリオンと具体的な金額は提示していませんでした。それで

も、9時に集められた人たちもぶどう園へと言ったのでした。それから、十二時ごろと三時ごろにも広

場に行って同様にして主人は人をぶどう編へと送ったのです。

 そして、最後に、五時ごろにも、広場に行ってみたのです。すると、まだ立っている人がいるのに気

づいたのです。そして、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねたのです。すると、

五時になってもまだ立っていた人々は答えて、『だれも雇ってくれないのです』と言うのであります。だ

れも雇ってくれないにもかかわらず、家にも帰れずに広場に立ち続けていたのです。その様な人たちに主人は声をかけたのです。そして、主人より『あなたたちもぶどう園に行きなさい』といってもらえたのです。

 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言ったのでした。

そして、最後に来た五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取ったのです。すると、最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていたのでした。しかし、彼らも一デナリオンずつだったのです。それで、受け取ると、主人に不平を言ったのでした。その不平の内容としては、「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。」それでも一日分確りと受け取る事が出来たのです、暑い中を辛抱して一日中働いたのに、と言うのです。

 最後にきて一時間しか働いていない人々と同じ扱いされると言うことに納得がいかないのです。しかし、雇い主人は、『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。』と言うのです。

 ここで主人は、「友よ」と語りかけています。これは語りかけている相手を下に見ているのではなく同等の相手として考えていることを示しています。

 更に主人は続けます。「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」と言うのであります。神様がしたい様にしてはいけないのでしょうか。勿論そのような事を言う資格は私たちにはあるはずがありません。そして、最後にこのように、「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」と言われるのです。

 この物語は、ユダヤ人と異邦人についてのたとえ話のようにも言われます。しかし、この物語は私たち自身に引き寄せてみるべきではないでしょうか。

 なぜなら、私たちは、他の人の様子を見て妬んだりしないでしょうか。自分に与えられた十分な恵みを忘れて、人に与えられている恵みを妬むのであります。そして先の者が後になり、後から来たものに抜かれていることはないでしょうか。それと共に、私たちは果たして何時ごろに主人から声を掛けられたものでありましょうか。先に声を掛けられたからと言って誇って居たり、後の者であると卑下していたりしないでしょうか。神様から与えられる恵みは等しいのであります。永遠のいのち、復活の希望は私たちの難にも欠けえられない恵みであり希望です。主イエス・キリストの十字架によって罪許されたことは、誰にも平等であり、この恵みの前においては、この世の恵みの違いなど消し飛んでしまうのではないでしょうか。

 神様から与えられている恵みの大きさに感謝しつつ今週もまた歩み続けて行きたいものであります。