過去の説教

イエスの姿が変わり

説教「イエスの姿が変わり」

 岸敬雄伝道師

                詩編 135編 4~7節  マタイによる福音書 17章1~9節

 

 六日の後、イエス様はペトロとヤコブとヨハネだけを連れて高い山に登られたと言います。

 六日の後とは、イエス様が自分の死と復活について話された後の六日と言うことになります。そしてここで言われている三人とは、イエス様が宣教を始められた最初から共に行動をしていた弟子である十二使徒の中でも、最初に弟子となった三人であったといえます。

 高い山に登った時に、イエス様の特別な事が起こったというのです。それは、弟子たちの目の前に居るイエス様の顔が太陽に陽に輝き、服は光の様に白くなったのです。

  山に登って、顔が太陽の様に輝いたと言うのを聞くと、すぐ思い当たるのが、出エジプト記の34章で、モーセが十戒を再受領して、山から下りて来た時のことです。「モーセの顔の肌は光を放っていた。」と言う事を思い出すのです。

 「モーセの顔の肌は光を放っていた。」のは、言うまでもなく主の御前に行って主と語てきたからであり、主の御栄光がモーセの顔を輝かしていたのです。

 そして、今回のイエス様は、顔が輝いているばかりではなく服も光の様に白くなったと言うのです。

そこにモーセとエリヤが現れたと言うのです。そして、姿が変わったイエス様と何事かを話をしていたのです。この三人の話し合いの内容については直接的に聖書には書かれていません。

そして、この場にいた三人の弟子たちは、目の当たりにしている事は素晴らしい事であり、神聖な事であることは理解していたでしょうが、具体的に、どの様な出来事が目の前で繰り広げられているのか、理解できていなかったことは確かでありましょう。その事は、『ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」』と言う様なとんちんかんのことを言っていることからもわかります。

 そんな無理解であった弟子たちに対して、更に驚くべき出来事が起こったのです。それは、『ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。』のです。このように、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」という天父なる神のイエス様を承認する言葉は聞こえてきたのです。これは、まさにマタイによる福音書マタイ3章17節 でイエス様が洗礼を受けた後に、天父なる神より掛けられたお言葉と同じでした。さらに、それに加えて『これに聞け』と言われているのです。まさにイエス様に聞くようにと言われているのです。

 もはや天父なる神様のみ声をきいて、「これに聞け」といわれても、到底三人の弟子たちは聞ける状態にはなかったのです。ただただ、『弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。』のです。

  弟子たちは自分達としてはどの様にすればよいか分からず、ただただ恐れてひれ伏していることしかできなかったのです。そんな弟子たちに対して、イエス様の方から近づいてきてくださり、彼らに手を触れて「起きなさい。恐れることはない。」と言われたのです。

 弟子たちが顔を上げた時、もはや誰も居なくなっていたと言うのです。そして山を下りる時に、『イエス様は、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。』のでありました。

  私たちに対しても、イエス様の方から近づいて来てくださって恐れることはないと言って下さっているのです。私たちを本日読まれた詩編でも言われているように、ご自分の宝とされているのであります。

  私たちもまさに、イエス様に対して、わたしたちの主は、どの神にもまさって大いなる方であることを知るのであります。そして、この、誰にも代えがたいお方に従いつつ、イエス様の死と復活の恵みによって決して死によって終わる希望ではなく、死をも乗り越えて続く永遠のいのちの希望を持ちながら、これからも、私たちは歩み続けて行くのであります。

アーカイブ