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義人ヨブの苦難

説教「義人ヨブの苦難」

 岸敬雄伝道師

        ヨブ記1章         9~22節  ルカによる福音書   4章1~13節

本日も教会学校お友達と共の礼拝を捧げられることを神様に感謝しています。

 本日読まれました旧約聖書の始めの部分に、サタンは答えた。と言っていますが、サタンとは、どんなものでしょうか。一言で答えれば、神様を邪魔しようとするものの総称です。新約聖書の中で、イエス様の行かれようとしている道を妨げようとした、一番近くにいた弟子である十二使徒の一人であるペトロも、サタンと呼ばれています。

この様に神様が行おうとすることを妨げようとする者は皆サタンなのです。本日読まれました新約聖書でイエス様を誘惑した悪魔と書かれているものもイエス様が行おうとしているのを邪魔しようとしていたことからサタンだと言いかえることもできるのかもしれません。 

 サタンは確かにいるとしても、でもそれだからと言って心配しすぎる必要はありません。サタンも決して神様のご支配を越えて力を発揮する事が出来ないのですから。

  今日読まれました旧約聖書の中に出てくるヨブいう人は、神様を信じる上においては、欠ける所が無かったと言われています。それであるのに、次々に不幸な出来事が訪れてくるのです。

使用人が、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせていると、シェバ人が襲いかかり、略奪していき、牧童たちは切り殺されてしまいました。それ以外にも、天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまう。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていき、それ以外に、長男のお宅で、御子息、御息女の皆が宴会を開いて居た時、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまった、と言うのです。

 ヨブさんは、どうして良いかもわからないのです。それでもヨブさんは一つだけ大切のことを忘れる事はありませんでした。それは神様を信じることでした。

  ヨブさんは、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と言って、神様を非難することなく、罪を犯さなかったのでした。

 ヨブさんには、一日の内に一度に災害が襲ってきましたが、私たちにとってもヨブさんの様な災難は襲ってくるのではないでしょうか。年を取って来て仕事を止めると、それまでの地位を失うこともありますし、体力も減ってくる、今までできていた事が出来なくなってきてします。近しい人を急に失うこともあるかも知れないのです。そんな時に、ヨブさんの様に、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と神様のことをたたえ続けて行く事が出来るでしょうか。

 そんな完璧に見えるヨブさんも、実は足りない部分が実はあったのです。それは、自分ですべてのことが出来ると思い込んでいることでした。人は自分だけで頑張っても、決して正しいことをすべて行うことは出来ないのです。なぜなら私たちも含めて、この地上の者はみな不完全だからです。

  私たちは神様に寄り頼まなければ、本当の意味で苦難を乗り越えていくことは出来ないのです。逆に言えば、どの様な苦難でも神様のお力によれば、全て乗り越えて行く事が出来るのです。

 なぜかといえば、すべては神様のご支配の中にあり、その上で、イエス様は私たちの受ける誘惑や困難を知っていて下さるからであります。

  イエス様は全てを克服するお力を持ちながらも、その強いお力を持ちながらも一番弱くなってくださって十字架にまでおかかりになって下さったのであります。だからこそ私たちはの苦しみをイエス様は、分かっていて下さるのです。

 私たちは、イエス様の十字架を伏し拝むことによって、あらゆる苦難を耐え忍び、乗り越えて行く事が出来るのです。今週もまた神様の恵みを感じながら、感謝しつつ歩み続けて参りましょう。