過去の説教

少年イエス

 少年イエス

岸 敬雄伝道師

 

            詩編  138章1~8節    ルカによる福音書  2章 41~52節

 イエス様の子どもの頃の様子を描いている福音書は、聖書ではルカによる福音書以外にはありません。聖典となっていない書物の中には、例えば新約聖書の外典とか疑典と呼ばれている書物の一つであるトマスの福音書の中には、5歳から12歳までのイエス様の行われたエピソードのいくつかが載せられていますが、それは聖典としては認められていないのであります。

 イエス様の両親、つまりヨセフとマリアは毎年過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。出エジプト記には年に三度、私のために祭りを行わなければならない、と(出23:14)書かれています。ヨセフとマリアは律法の定めを守る人だと描かれています。

 律法に従うことについては、子供は13歳になった時にこの律法に従うことになっていたと言われます。一人前として体験のために参加し、慣れるために一緒に参加するようにしていたようであります。イエス様も12歳になった時、ヨセフとマリアと共に出かけて行ったのでした。

 ヨセフとマリアは家路へと着いたのであります。ただこの旅は、イエス様がお生まれになった時のような家族だけの旅ではありませんでした。親族一同が一緒の旅行していたのでした。言ってみれば集団行動による旅行だったのであります。阻止には盗賊などに襲われる危険性を軽減するような働きもあり合理的だったものと考えられます。

 そんな中でヨセフとマリアはイエス様が道ずれの中に居ると思いエルサレムに残っていることに気がづ、一日の道のり行ってしまい、やっとイエス様居れことに気が付いて探し出すのであります。そして、一日の道のりを3日間かけて探しながら戻っていったのでした。そして、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。と言うのです。これは、本日読まれました41節の前の部分、40節のイエス様が生まれて、律法に定められているように主に捧げられる為に神殿へ行った帰った後に書かれている「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」との記述を受けて、イエス様が聡明にそして、神様の恵みに包まれて育たれていたことを示しているのではないでしょうか。

 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」と言うのです。それに対してイエス様は、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」と言われるのです。

 イエス様が言っている、「わたしが自分の父の家にいる」とは、ここは神殿であり、神殿が自分の父の家、すなわち自分の父がヨセフではなく天父なる神であられることを自覚されていることを示しているのであります。そのことについてヨセフとマリアは意味が分からなかったと言うのです。

イエス様は父なる神の御子であることを理解しておられながら、それにもかかわらず、「イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親、すなわち、地上の父と母であるヨセフとマリアに仕えてお暮らしになった。」といい、律法にある父母を敬え、という戒めを守っていたことが示されているのであります。

 そしてこのことも母はすべて心に収めていた。と最後に書かれています。

 さらに、最後に「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」と言われるのであります。 これこそ、イエス様の少年期を示す確かの言葉なのであります。私たちはイエス様が人と神に愛されたと書かれているように私たちもイエス様を愛し続けて行きたいものであります。