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イエス様の誕生

イエス様の誕生

 岸敬雄伝道師

サムエル記上   16章1~5節ルカによる福音書  2章1~8節

本日はクリスマス、合同主日礼拝です。教会学校のお友達と共に私たちの救い主であるイエス様がこの地上にお生まれになったことをお祝いするための主日礼拝と言うことになります。

本日は、イエス様の誕生をルカの福音書を中心に聞いていきたいと思います。

イエス様が、ベツレヘムでお生まれるきっかけとなったのは、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出たからです。ヨセフはいいなづけであるイエス様の母となるマリアさんを連れて共にガリラヤに向かったのであります。そして、ガリラヤの町がなぜダビデの町かと言えば、本日読まれましたように、ダビデが預言者であるサムエルから油を注がれイスラエルを統一して王様となったダビデ王の出身地だからです。

イエス様はダビデ王に家系であり、本来なら王となってもおかしくない家系にあることを強調しているのです。

そして、救い主が生まれるのがベツレヘムであることは、イエス様が生まれる前にから預言者たちによって言い伝えられてきたことでした。マタイによる福音書では学者たちの間では知れていることでした。旧約聖書のミカ書の5章に書かれていることを引用して『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」といっています。と言っています。 イエス様は本来この地上においては血統的には、王となるべきお方としてこの地上に来られたのでありました。それにもかかわらず、そのお生まれになった場所は、まさに正反対と言って良い状況でありましょう。

 馬小屋で生まれられたのであります。それも、暖かく柔らかい寝床に寝かされたのではなく、飼い葉おけに寝かされたというのであります。

  イエス様の小さくて力のない、すべて他者に頼らなければならない姿が、まさに人間の本当の姿を象徴しているのであります。

たとえどんな権力を持っていようとも、お金や知識に富んでいようとも、私たちは誰かに頼らずにはいられないのであります。

なぜなら、今晩泊まる所もなく、馬小屋に泊まらなければならない様な両親に抱かれている、そのように外から見れば全く力がなく見える御方が、全人類の救い主であり、コリントの信徒への手紙1ⅰ5章22節に言われているように『 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。』

今まで生まれて死んでいった人もこれから生まれてくる人もすべての人を生かす力を持った救い主がイエス様なのです。そう私たち人類のは唯一無二の救い主がイエス様であり、そのイエス様が地上に来てくださったという歴史的事実を祝うのがクリスマスなのであります。

 このイエス様が何から私たちを救って下さったか、それは、私たちの不完全であり、私たちは神様に従いきれないことからであります。神様から見て私たちが従いきれないこと的外れなことをしてしまう事を言いかえれば、罪と言っているのです。ですから私たちをイエス様は罪から救って下さる救い主と言われるのです。

 あの十字架に掛かって私たちの罪を洗い清めて下さったイエス様、私たち、今までに生まれてきた人も、これから生まれてくる人のも全部含めて、すべての人の罪を洗い清めて下さるイエス様が、あの馬小屋でお生まれくださり、馬小屋で生まれ、飼い葉桶の中で健やかにお休みになられている時から、その使命を負って下さっていたのです。

 私たちは、この救い主に従っていくのであり、私たちの救い主はこのお方以外に居られないのであります。私たちはこのお方に寄り頼む以外に救いに至る道を歩み切ることは出来ないのです。