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命のパン

 

命のパン

石田 歩 牧師

出エジプト記16章1-5節、ヨハネによる福音書6章27-35節

やなせたかしさんの代表作にはアンパンマンがあります。アンパンマンは自分の顔、パンを分け与えます。配るのではなく与えるのです。そのように自分を犠牲にして出会った者のために行動するアンパンマンの姿にイエス・キリストの姿が重なり合います。

私たちは生きる中でご飯を食べることは非常に重要なことであり、肉体は満たされてもまた欲します。

前日、イエス・キリストによって5000人の給食によって群衆たちは心も体も満たされる不思議な体験をしました。翌日イエス・キリストを追いかけて、カファルナウムに移動しました。彼らは自分たちの目の前で食べ物を分け与えられ満たされたという体験をもう一度味わって満足したいと思ったのです。イエスは群衆たちに対して「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言われました。

群衆たちはイエスの永遠の命に至る食べ物のために働きなさいとの言葉に勘違いをしてしまいます。この永遠の食べ物を得るためには何かをしなければ受け取る事ができないと勘違いしたのです。イエスはこのように答えました。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」イエスは神がお遣わしになった者、つまり私自身を信じることが神の業だと言われました。イエスの答えはただ私を信じなさいということでありました。イエスを救い主と信じていくその信仰はすでに神の業を行なっているのです。

群衆たちはモーセを引き合いに出しました。自分たちにもマナが欲しくなったのです。群衆たちは神がお遣わしになった者が本当にあなたなのかしるしを見せてくださいと言いました。イエスにここでもう一度、モーセのように天からマナを降らせなければ信じられない。とイエスに要求したのです。前日の給食の出来事はどこかへ行ってしまいました。

イエスはモーセはただ神と人との間を取り持つ役割でしかなかった。そして今、神のパンは天から降ってきて世に命を与えると言われました。神のパンとはイエス自身のです。イエスが自ら私たちに命を与えるためこの世へと降って来られたのでした。

群衆たちは「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言い出しました。群衆たちの欲したパンとはこの世的な命であります。やがて朽ちるもの、食べても、食べても満たされないものであります。イエスの語る命と群集たちの欲する命とは違うものでありました。イエスは「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、渇くことがない」と言われました。この世的な命ではなく永遠に至る命であるとイエスは語ります。私たちの助けとはイエスが来られ私たちを朽ちない命へ導こうとされることです。本当の助けは私たちが必死になって私たちの手や力によって満たしていくことではなく、私たちがイエスによって満たされ、朽ちない命に招かれていることを神に感謝をもって応答し生きていくことであります。

イエスは神のパン、命のパンとなって私たちを招いてくださっています。その招きに答え日々、私たちを助け導かれる命のパンであるイエス・キリストに祈り求めていく者でありたいと願います。そして、恵みを受けた私たちは神の業を行う者としてイエス・キリストと共にこの世へと派遣されていくのです。