過去の説教

争うのはやめよう

争うのはやめよう
大坪章美 牧師

コリントの信徒への手紙一 12 章 12 ~ 20 節

創世記13:1節に、アブラムとサライ、それに、甥のロトの一行がエジプトを出て北上し、再びネゲブ地方に戻ってきたことが記されています。そして、さらに旅を続けて、カナンに入り、ベテルとアイの間まで、やって来ました。

しかし、アブラムも、ロトも、以前に来た時とは決定的に異なっていることがありました。二人は、大変裕福になっていました。そこには、「アブラムは、非常に多くの家畜や金銀を持っていた」と記されています。また、一方、5節には、「アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、沢山の天幕をもっていた」と、記されています。

その結果、何が起きたかと申しますと、「アブラムとロトの争い」でした。ベテルとアイの間の土地は、沢山の羊や牛、それに天幕を持っているアブラムとロトが共に生活をするには、不十分な広さでした。そして、それが、現実の姿となって現れました。7節です。「アブラムの家畜を飼う者達と、ロトの家畜を飼う者たちとの間に、争いが起きた」と、記されています。 そして、ついにアブラムは、解決策を語り出しました。9節です、「あなたの前には、いくらでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」と、提案しました。

ロトは、ヨルダン川の低地一帯を、選び取りました。アブラムは、そのまま、ヨルダン川の西の、カナンの地に留まったのでした。主なる神様はアブラムに言われました、「見える限りの土地をすべて、わたしはあなたと、あなたの子孫に与える」と仰ったのです。

この時から、二千年ほども後の紀元55年頃、場所はエーゲ海の東の端、エフェソでの出来事です。その頃、パウロは、第3回伝道旅行の最中で、およそ、2年と3か月以上も、このエフェソに滞在して伝道に励み、福音は着実に広がっていました。

しかし、このような、充実した福音伝道の日々の中にも、パウロの頭を悩ます出来事は、起こっていたのです。クロエというギリシャ人のご婦人の家の者から、「コリント教会の中で、分裂が起きている」という情報を受けて、また、コリントの教会の人々からの、パウロに対する質問状を受けていたものですから、パウロは、コリント教会内の問題解決と、彼らの疑問に対する答えとして、記したのが、コリントの信徒への手紙一でした。

12:11までは、「教会員ひとりひとりは、それぞれ、異なった賜物を持っているが、それをお与えになるのは、同じ霊である」という考えを述べています。すなわち、一つの霊によって、一つの体となるために、洗礼を受けたのだ、と言っています。“洗礼”とは、霊が与えられることなのです。そして、洗礼によって、一つの体になることは、皆が、同一になるのではないことを、人間の体と比較して、明らかにしています。

「人と、同じ賜物を持っていないことを嘆くのではなく」、「人と異なる賜物を頂いていること」を、誇りに思い、それぞれ、異なる賜物を持っていることこそ、存在意義がある、と言っているのです。

ここに、わたしたちは、創世記13:8節の、アブラムがロトに提案した、「争うのはやめよう」という申し出を思い起こします。アブラムも、ロトも、大きな財産を持っていました。しかし、ベテルとアイの間の土地に、二人の家族や、奴隷、羊や牛が生活できるだけの広さはありませんでした。アブラムは、自分が年長者の権利を行使して、好きな土地を選べたにも関わらず、ロトに権利を譲りました。そして、その行いを、神様から祝福されました。

私達教会員が与えられた賜物も、同じです。それぞれが意義のある、異なった賜物を頂いています。その全てが一体となって、教会の働きがなされます。それを、「自分の賜物だけで、体を現わしている」と主張するならば、体の統一が失われます。ここでも、争うのは必要ありません。むしろ、自分と異なる賜物を持っている人を立ててこそ、体の機能は発揮されるのです。

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