話さないではいられない
大坪章美牧師
使徒言行録 4章10〜20節
ユダの王、ヨヤキムが即位した年エレミヤは、エルサレム神殿で、神の審判の預言を語りました。エレミヤ書19:10節以下には、エレミヤに対する神の命令が記されています。「あなたは、共に行く人々の見ている所で、その持参した壺を砕き、彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。陶工の造った物は、ひとたび砕いたなら、元に戻す事は出来ない。それ程に、わたしは、この民とこの都を砕く」と、命令されました。
ここまで、エレミヤは、徹底して神の側に立って、神の言葉をひるむことなく伝えてきたのですが、一転して、20:7節から、その苦しさを、告白しています。同胞のユダの民への審きの言葉を述べること、そして、それに対して、ユダの民が怒り、暴言を吐くことは、エレミヤにとって、耐え得ることではありませんでした。9節のエレミヤの言葉です。「主の名を口にすまい。もう、その名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります」と、告白しています。語るまい、と思う心の中に、炎のように作用して、神に対するエレミヤの確信が強められていきます。
この、エレミヤが告白した、「神から預けられた御言葉は、語らざるを得ない」という現実を、新約の時代になってから、使徒ペトロが語っています。
ある日の事、ペトロとヨハネが、午後3時の祈りに参加する為に神殿に上った時の事でした。美しの門の傍らで物乞いをしていた、生まれてこの方、足が不自由で立つ事も歩く事も出来なかった男から、施しを求められて、「金銀は無いが、持っているものをあげよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって、立ち上がり歩きなさい」と命じたところ、その男が立ち上がり踊り回って、ペトロとヨハネに従って来たのでした。
そして、これを見ていた、神殿の境内に居たユダヤの民衆が不思議に思って近寄って来たので、ペトロが立ち上がって説教をして、その結果、男だけでも五千人という多くのユダヤ人達が、イエス・キリストを信じる者となったのでした。然し、これを見ていた神殿の警備の責任者である、神殿守衛長や祭司達が脅威を感じて、2人を捕えて、牢に入れて、その翌日、最高法院の議会で、裁判が行われたのです。裁判長となった大祭司カイアファは、ペトロとヨハネを議会の真ん中に立たせて、「お前達は、何の権威によって、誰の名によって、ああいう事をしたのか」と尋問したのです。
これに対し、ペトロは聖霊に満たされて、堂々と弁明しました。ナザレ人、イエス・キリストの名が、生まれつき足が不自由であった男を、救われたのだ、と弁明したのです。また、続いて、「ほかの誰によっても、救いは得られません。私達が救われるべき名は、天下に、この名のほか、人間には与えられていないのです」と語って、弁明を終えたのです。大祭司カイアファ達は、為す術もなく、一旦ふたりに退場を命じてから、議員達を集めて、「ペトロとヨハネをどうするか」の相談をしました。彼らが考え出した結論が17節にあります。「この癒しの奇跡が、これ以上、民衆の間に広がらないように、『今後、あの名によって、誰にも話すな』と、脅しておこう」という対策でした。そして、言い渡しました。「今後、決して、イエスの名によって話したり、教えたりしてはいけない」と命令したのです。
然し、ペトロとヨハネは即座に答えました、「神に従わないで、あなた方に従う事が、神の前に正しいかどうか考えて下さい」と、反論したのです。そして、二人は、“神に従う事が正しい”という理由を述べました。20節です、「なぜならば、私達は、見たことや聞いた事を、話さないではいられないのです」と述べました。
茲に、私達は、エレミヤの預言の成就を見るのです。エレミヤが民衆から笑いものにされ、嘲られるものですから、「もう、主の名を口にすまい。もう、その名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります」と嘆いて、主の言葉を語り続けました。ペトロとヨハネも、ユダヤの最高法院の圧力に耐えながら、主イエスを証しし、その名によって語り続けました。