再び永遠の命
大坪章美牧師
マタイによる福音書 28章1-10節
宇宙の創造について、聖書は、「初めに神は天と地を創造された」と書いています。どのようにして、神様は、天と地を造られたか、と言いますと、「神は言われた、光あれ」と、記されています。創世記1:27節には、「神は、ご自分に形どって、人を創造された。神に形どって、創造された。男と女に創造された」と、記されています。そして、神様が自然の全てを支配されますように、その支配を、人に任せて、人の支配を通して、自然を支配するようにお定めになったのです。
神様は、「園の全ての木から取って食べなさい。但し、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると死んでしまうから」と命令されたにも係わらず、アダムとエバは、蛇に騙されて、食べてしまいました。アダムとエバは神様の霊が宿らない体になってしまいました。そして、神様が、「必ず死ぬ」と言われたとおり、二人は、寿命が尽きた時、死んでしまったのです。
それから何千年の時が流れたのかは、明らかではありません。イエス様がお生まれになってから30年余りが経った頃、ローマ帝国の属州、ユダヤ州での出来事でした。場所は、エルサレムです。「安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリアと、もう一人のマリアが墓を見に行った」と記されています。
この、二人の女の人が、日曜日の朝早く、然も、人気のない、薄暗い山道をお墓に向かって急いでいたのは理由がありました。それは、三日前の金曜日の事です。二人のマリヤや、沢山の弟子達が遠くから見守る中、彼らが、“この世の、救い主”と信じて従って来た、あの、イエス様が、十字架の上で、死なれたのです。
二人のマリアは、その日、イエス様が死なれた後も、家に帰ろうとはしませんでした。そして、ヨセフという人が、イエス様のご遺体を、亜麻布で包んで、岩に掘った自分の新しい墓に納めて、墓の入り口には、大きな石を転がして、立ち去るのを、夜更けの闇の中で、じっと、見守っていたのでした。
安息日が開けた今朝、一刻も早く、イエス様のお近くに行って、お顔を見て、出来れば、ご遺体に、香料をお供えしたい、とも思ったことでしょう。そんなことを考えながら、二人のマリアが墓の前に近づいた、その時、突然、大きな地震が起きました。地面が大きく揺れて、あの大きな、大人の男の人でも、動かせない程の大きな丸い石が横に転がって、その石の上に、主の天使が座った、というのです。石の上に座った天使は、2人のマリアに告げました。「恐れることはない。十字架に着けられたイエスを探しているのであろうが、あのかたはここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」と、告げたのです。
二人のマリアは、弟子たちの元に走りながら、喜びが込み上げてくるのでした。もう、三日も前に死んで、居なくなった、と思っていたイエス様が、生きておられるというのです。その時でした。イエス様が、行く手に立っておられて、「おはよう」と、言われたのでした。二人のマリヤはイエス様の前にひれ伏しましたが、イエス様は声を掛けられました。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこで、わたしに会うことになる」と、言われたのです。すべてを捨てて、イエス様に従って来た弟子たちは、イエス様が死なれた今、もう、故郷ガリラヤへ帰るしかありませんでした。それは、失意のうちに、即ち、望みを絶たれて、思い足を引きずって、トボトボと帰るはずのガリラヤでした。
然し今、復活され、生きておられるイエス様が、「ガリラヤで会おう」と言われたのです。失意から、“喜びへ”と弟子達は変えられました。そして、ガリラヤで復活の主イエスに出会った弟子達は、喜びの内にエルサレムへ戻って聖霊が降るのを待ち続けたのです。
茲に、天地創造の時に造られた人間に備わっていた力が再び戻って来たのです。イエス様は全ての人間の罪を贖って十字架の上で死んで下さいました。そして三日目に復活された、という事は、神様が人間の罪を赦して下さった事に外なりません。イエス様の復活は、人間に永遠の命が再び与えられた事の証拠なのです。