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幼子の口に讃美歌

幼子の口に讃美歌
大坪章美牧師

マタイによる福音書 21章12-16節

第二イザヤは、語ります、43:19節です、「見よ、新しいことを、わたしは行う。今やそれは芽生えている。あなたたちは、それを悟らないのか」と力強く、預言しています。バビロンで、捕囚の生活を余儀なくされているイスラエルの民は、「わたしのために造った」と、仰るのです。そして、その、苦しみの中にある民を解放する、第二の出エジプトを起こすから、あなた達は、わたしの栄誉を、語り伝えよ、と仰っているのです。

そして、44:3節です。「わたしは渇いている地に水を注ぎ、渇いた大地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える」と、新たな祝福を約束されています。

イエス様はガリラヤでの伝道を終えられて、今、ようやく、エルサレムへ入城されたところでした。そして、城内に入られますと、直ぐに、エルサレム神殿に足を運ばれました。イエス様は、その境内で、両替商人の台や、鳩を売る者の腰掛けを蹴倒して、言われたというのです。「こう、書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである』ところが、あなたたちは、それを、強盗の巣にしている。」

然し、イエス様の“宮清め”は、更に、もっと深い意味を持っていました。もともと、イスラエルの民は、モーセの指導のもとにエジプトを脱出してから、常に、契約の箱を安置した、“臨在の幕屋”を中心にして行動しました。そして、実際、エルサレムに神殿を建てたのはソロモン王でした。王国の統合の中心となりましたが、王国の腐敗もまた、これから始まったのです。エゼキエル書11:23節には、「主の栄光は、都の中から昇り、都の東にある山の上に留まった」と記されています。主なる神様、ヤハウェの栄光は、エルサレム神殿を離れて、オリーブ山に移ってしまったのです。

イエス様の宮清めは、神の審判の予告でもありました。事実、この予告通り、この後、紀元70年には、ローマの将軍ティトスの軍によって、エルサレム神殿は、焼き払われてしまうのです。

14節には、「境内では、目の見えない人や、足の不自由な人たちが側によって来たので、イエスは、これらの人々を癒された」と、記されています。イエス様が、両替商人や、鳩などを売る商人たちを追い出してしまわれた後には、目の見えない人々や、足の不自由な人々が残っていて、イエス様に近づいて来たのです。イエス様の中には、怒りと愛とが共存しています。庶民を搾取し、苦しめ、礼拝を妨害する者たちには、怒りが向けられ、悩みと苦しみのうちにある人々には、イエス様の愛が、向けられるのです。

その時、イエス様が起こされた“宮清め”の騒動を聞きつけて、駆け付けた祭司長達や律法学者達が目にしたのは、不思議な光景でした。大勢の、口の利けなかった人々がしゃべり、体の不自由な人々が歩き回り、目の見えなかった人々が見えるようになっていることで驚いたのと、更には、子ども達が集まって来て、澄んだ、生き生きとした声で、「ダビデの子にホサナ」と、賛美していたのです。祭司長達には、イエス様が行われた癒しの奇跡や、子ども達が、「ダビデの子にホサナ」と、イエス様を賞賛する大きな歓呼の声を張り上げているのが不思議で、遂には我慢できず、憤慨して、イエス様に喰ってかかったのでした。「子ども達が、何と言っているか、聞こえるか」と、問い詰めたのでした。

そこで、イエス様は、お答えになりました。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や、乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を歌わせた』という言葉を、まだ、読んだことがないのか」と、仰ったのです。「この、子どもたちの口に、神を賛美する言葉を与えたのは、神ご自身なのだ」と、イエス様は、お答えになったのでした

この、幼子、乳飲み子の賛美の歌声こそ、イザヤが語った、44:3節、「わたしは、乾いている地に水を注ぎ、乾いた大地に、流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末に、わたしの祝福を与える」との救いの預言の成就です。どのような試練があっても、主なる神様は、イスラエルの民を、お救いになる約束を果たされるのです。

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