過去の説教

系図に無い国王

系図に無い国王
大坪章美

マタイによる福音書 1章 10-16節

マタイによる福音書の、1:16節には、イエス様のお名前が書かれています。「この、マリアから、メシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と記されています。・・・このことから分かります事は、今日読んでいただいた、マタイによる福音書には、“イエス様の系図”が書かれている、ということです。

次に、旧約聖書の歴代誌下の36:11節には、「ゼデキヤは、21才で王となり、11年間、エルサレムで王位にあった」と、書いてありました。ゼデキヤがユダ王国の国王であって、その上、11年間も王位にあったのならば、堂々と、イエス様の系図に載せられなければならない人ですよね。

ところが、実際は、マタイが書いたイエス様の系図には、ゼデキヤ王の名前がありません。一体、何故なのでしょうか。本来ならば、・・ヨシヤ?は、バビロンへ移住させられた頃、(エホアハズ?とエルヤキム?とゼデキヤ?をもうけ、エルヤキムは)エコンヤ?とその兄弟たちをもうけた。・・・と書くべき、と、思われるのですが、カッコの中が、完全に抜け落ちています。
  
ゼデキヤが載せられなかった理由は幾つもありました。まず、第1番目に、「ゼデキヤは、自分の神、主の目に悪とされることを行い、主の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへり降らなかった」と、書いてあります。その時、都のエルサレムは、バビロニアという大きな国の軍隊に取り囲まれていました。ゼデキヤ王は、エレミヤの下に人を送って、「どうか、我々のために、我々の神、主に、祈ってほしい」と、頼んだのです。
 その時エレミヤに、主の言葉が降りました。「バビロニアの軍隊が再びやって来て、エルサレムを攻撃して、占領して都に火を放つ」と語りました。そして、本当に、紀元前587年、バビロニアの王、ネブカドネツァルは、全軍を率いてエルサレムを囲んで城壁を破りました。民のうち、都に残っていた者、生き残った者は皆、捕虜として、バビロンに連れて行かれたのです。

このようにして、ユダ王国は、滅亡しました。自分たちの国、ユダ王国が滅ぼされる原因を作ったゼデキヤ王を、ユダの民は、正式な王とは認めなかったのです。それが、系図に書かれなかった理由のひとつです。

その理由が、未だあります。二つ目の答えが、13節にあります、「彼、ゼデキヤは、また、神の名にかけて彼に誓わせたネブカドネツァル王に反逆し、強情になって、その心を頑なにし、イスラエルの神、主に立ち帰らなかった」と、記されています。

ゼデキヤをユダの王にしたのは、ネブカドネツァルでした。彼は、ゼデキヤの生まれた時からの名前である“マタンヤ”という名前を“ゼデキヤ”と変えさせたのです。ゼデキヤは、「ヤハウェの正義」という意味の名前です。ゼデキヤは、「ヤハウェの正義」という立派な名前を貰って、神様に誓ったにも係わらず、エレミヤが伝える神の言葉に従いませんでした。ですから、イエス様の系図にも、載せなかったのでした。

沢山の人々が、バビロンに連れて行かれました。預言者エレミヤが、ゼデキヤ王に、「あなたたちは、このようになる」と預言した通りになりました。何故、イスラエルの民は、このように苦しい目に遭わなければならなかったのでしょう。それは、神様が、「神に従わなければならない」という事を民に教える為めでした。その為の、イスラエルの民に対する訓練だったのです。

神様は、イスラエルの民を決して見捨てられません。エレミヤは、エレミヤ書の29:10節で、神様の言葉を語っています。「主は、こういわれる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなた達を顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなた達をこの地に連れ戻す」と言っています。そして、神様のお言葉どおりになりました。エホヤキム王の時代に、最初にバビロンに連れて行かれた人達の時から数えて70年経った時、ペルシャの王、キュロスの命令で、バビロン捕囚の人々は皆赦されて、エルサレムに帰る事が出来たのです。神様は、訓練を与えられますが、それは、神様から、みんなの心が離れた時なのです。訓練の後には、嬉しいことが沢山、希望がいっぱい待っています。

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