過去の説教

神に希望をかけている

神に希望をかけている
大坪章美

コリントの信徒への手紙二 1 章 6-10節

紀元前587年、エレミヤは主なる神の御言葉を聞きました。「お前の伯父のハナムエルが、お前のところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが親族として買い取り、所有する権利があるのです』と、言うであろう」というお言葉でした。エレミヤは、迷いました。なぜなら、今、バビロニアの軍隊に占領され、アナトトの先祖伝来の土地も、契約上の証書があったところで、本当に、自分の所有になるかどうかが、危ぶまれたからです。

しかし、エレミヤは、このことが、主なる神から出た言葉によることを知って、アナトトにある畑を買い取りました。そしてエレミヤは、主に祈りました。「あゝ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして、天と地を造られました。あなたの御力の及ばないことは、何ひとつありません」と、記されています。エレミヤは、ただ、主なる神、ご自身を見上げています。目の前の現実は、いつ果てるとも知れない、バビロニア軍によるユダの国土の占領の現実がありました。

このエレミヤの体験と、同じような体験を六百年も後のパウロが、手紙に記しています。パウロは、コリントの教会を立上げた、第二回伝道旅行を含めて、コリント教会を3度訪問しました。そして、少なくとも5通の手紙を書いています。コリント信徒への手紙二の1:8〜9節は、パウロが書いたコリント教会宛の手紙の中で、4通目に含まれる箇所で、「和解の手紙」と、呼ばれている物です。パウロは、エフェソに滞在している間の紀元55年の春の頃、コリントへ、直接、船で渡り、2回目の訪問をしなければならなくなりました。何故なら、その後、コリントの教会に入り込んだ熱狂主義的なキリスト者の影響によるものでした。パウロは、このような人々によって、「キリストに招かれ、信仰者とされたコリントの信徒達の新しい生き方」が裏切られる場合には、遠慮会釈なく、否定したのでした。然し、そのような中で、パウロは、教会の信徒が、自分に明らかに反乱を起こしているのに遭遇しました。パウロは、それ以上コリントの教会に留まる事ができず、虚しさと悲しみの内に、とんぼ返りのように、又、船で、エフェソへ戻らざるを得ませんでした。

そして非常に興奮して、エフェソからコリント教会へ手紙を書きました。これが、「涙の手紙」と呼ばれているもので、現在のコリントの信徒への手紙二の2:4節に記されています。そこには、「わたしは、悩みと憂いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。」と記されています。そして、パウロ自身は、早々にエフェソ滞在を切り上げて、不安な期待を抱いたまま、テトスを迎える為に、マケドニアまで旅したのでした。

「涙の手紙」と呼ばれる、パウロの真情溢れる手紙と、テトスのコリント教会への派遣は、見事に成果を収めました。テトスからその報告を受けたパウロは、今やコリントの教会の人々に向けて、喜び溢れる和解の手紙を書いて、パウロ自身に耐えられない程の侮辱を与えた教会員をパウロが既に赦しているように、教会員も許すよう、一生懸命に願うのです。

パウロが、「私達が悩み苦しむ時、それは、あなた方の“慰めと救い”になります」と記しているのは、「苦しみの無い所に、慰めは不要である」という真理が前提になっています。パウロが心に思い浮かべているのは、「キリスト者であるが故に、受ける苦しみ」です。確かに、パウロは、苦しむ度に慰められ、苦しみはひどくても、慰めは更に素晴らしい事を知っていました。

ここにパウロの新たな希望が生まれたのです。「主なる神様が、これからも自分を救って下さる」という、希望です。そして、「神は、選んだ者を見捨てることはなさらない」という確信に至ったのです。

そして、私達は、エレミヤの信仰に重なる「神への希望」を思い起こします。確信が持てないまま、ただ、主なる神様の導きに希望を託して買い取った、エレミヤの、「神への希望」と重なるのです。わたしたちのこれからの歩みも、地上の歩みには確かなものはありませんが、しかし、唯一確かな、「神への希望」を持ち続けることによって、強く生きることが出来るのです。

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