過去の説教

主は命を得させてくださる

主は命を得させてくださる
大坪章美

コリントの信徒への手紙一 6章 12-20節

ヨブは、ウズの地に住む、無垢な潔白の人で、神を畏れ、悪を避けて生きていました。東の国一番の富豪であったと、記されています。当時のオリエントでは、“天上の会議”というものがあると考えられていました。集まったみ使いたちの中に“サタン”も含まれていました。このサタンに、神様が言われました、「お前はわたしの僕、ヨブに気づいたか。無垢な義しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」と仰ったのです。これに対して、サタンはすぐさま、反論しました。「ヨブが利益も無いのに、神を敬うでしょうか」と言いました。そして、神様に、「ヨブの財産に手をつけてご覧なさい。面と向かって、あなたを呪うに違いありません」と提案したのです。神様は、サタンに答えられました。「ヨブの財産の一切を、お前に委ねよう。ただし、彼の身には、決して手を出すな」と命令されました。

それから、ヨブに対する試練が始まりました。まず、牛とろば、牧童達が強盗に襲われ、次に、羊と羊飼い達が雷に打たれ、また、らくだと牧童達が襲われ、息子と娘達が突風によって死んでしまった、という報告があったのです。しかし、ヨブは、神を非難することもなく、罪をおかすこともありませんでした。

次の“天上の会議”の時です。サタンは食い下がりました、「命の為には、全財産を差し出すものです。彼の骨と肉を打ってご覧なさい。面と向かってあなたを呪うに違いありません」と提案したのです。神様は、今度もサタンに同意されました。「ヨブをお前の手に委ねよう。但し、命だけは奪うな」と命令されたのです。

そこで、サタンは、ヨブに、頭の天辺から足の先まで、皮膚病に罹らせました。このようなヨブに、3人の友人が見舞いに来ました。彼らは、因果応報の原則に従って、「人間の苦しみには、それなりの原因が、人間の側にある筈だ」、と、ヨブを説得します。然しヨブは、「わたしには、いかなる罪も無いのに、苦しんでいるのだ」と、自分の潔白を主張するのでした。

ここに、新たな人物、エリフが登場します。エリフは、「神は私を敵としている」というヨブの主張を攻撃して、「神は人間より強いのに、何故、あなたは神と争おうとするのか」と、問い質します。ヨブは、自分の“義”に執着して、「自分は正しい」、と言い張って、「死に至るまで、私は潔白を主張する」と言った言葉を、彼の思い違いであって、「自分は道義を曲げました」と、明確に否定しなければならないのです。そうして初めて、ヨブは「神は私の魂を、滅亡から救い出された。私は命を得て、光を仰ぐ」と、歌い、歓喜に包まれて、神に感謝を述べるであろう、と言っています。

茲で、時代と場所が変わります。紀元55年の春、場所はエフェソです。この時パウロは、コリントの信徒へ手紙を書く必要に迫られました。その頃、「個人的な特権を捨てる」という考えは、多くのコリントの人々が反対していました。彼らの合言葉は、12節に在りますように、「私には、全ての事が許されている」という考えでした。パウロは、この考えに反論します。「私は何事にも支配されはしない」と主張しています。コリントの知恵のある者は、自分の肉体を、一時的な、劣ったものと、考えていました。ですから、自分の体で、何をしても大した意味は無い、と考えていました。

パウロが、「私は何事にも支配されはしない」と言ったのは、「コリントの賢い人々は、娼婦の所へ行って、情熱の奴隷になっている」と非難している言葉に表れています。パウロは言っています、「神は主を復活させ、また、その力によって、私達をも復活させて下さいます」と記されています。ここに、私達は、ヨブ記でエリフが語った言葉、「しかし、神は、わたしの魂を、滅亡から救い出された。わたしは命を得て、光を仰ぐ」という言葉が、繰り返されていることに気づきます。

17節でパウロは、「然し、主に結びつく者は、主と一つの霊となる」と言っています。そして、「みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」と記しています。それは、「私たちキリスト者が、みだらな行いをするということは、キリストと娼婦を結び付けることになる」と、警告しているのです。

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