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神と御子と、私たち

神と御子と、私たち
大坪章美

ヨハネによる福音書 17 章 6-11 節

バビロン捕囚という出来事は、紀元前605年、597年、587年と、総督ゲダルヤの時の583年と、合わせて4回行われました。中でも大規模であったのが、紀元前587年の第三次バビロン捕囚の時でした。このようにして、バビロン捕囚によって、ユダ王国の歴史は閉じられます。

この、バビロン捕囚について、エレミヤは、既に、ヨヤキムがエジプトの王、ネコ二世によって第17代のユダの国王につけられた時から、預言していました。エレミヤ書25:11です、「この地は全く廃墟となり、人の驚くところとなる。これらの民は、バビロンの王に、70年の間、仕える。70年が終わると、わたしはバビロンの王とその民、またカルデア人の地を、その罪の故に罰する、と主は言われる」と預言していたのです。真に、この預言の後、紀元前605年に第一次バビロン捕囚が起こり、68年後に、ペルシャのキュロス大王によって、ユダの民はバビロン捕囚から解放されたのでした。紀元前538年の事です。この後の記録は、エズラ記、ネヘミヤ記になります。彼らの第一の希望は、焼け落ちたエルサレム神殿の建築でした。エズラ記6:16には、「イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは喜び祝いつつ、その神殿の奉献を行った」とあります。それは、バビロン捕囚からの解放後23年経った紀元前515年の事でした。

そして、もう一つの課題は、エルサレム神殿は再建されたものの、エルサレムの城壁は、未だ、破壊されたままであったことです。その頃、ペルシャの首都、スサに居たユダヤ人ネヘミヤの許に、ユダから幾人かの人々がやってきました。彼らが言うには、「エルサレムの城壁は焼け落ちたままで、生き残ったユダヤの人々は、恥辱、恥を受けている」と、報告したのです。ネヘミヤは、これを聞いて泣き出し、幾日も嘆いて、食も断って、ひたすら神に祈ったというのです。ネヘミヤ記1:6です、「耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞き下さい。あなたの僕であるイスラエルの人々の為に、今、わたしは、夜も昼も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します」と祈りました。そして、ネヘミヤは、紀元前445年、アルタクセルクセス王に願ってユダに上り、さまざまな妨害に遭いながらも、52日間で、エルサレムの城壁を修復したのです。

このネヘミヤの祈りが、新約の時代になってから、イエス様の祈りの中に出て参ります。イエス様は、過越しの祭の前日、エルサレムのとある家の2階の広間に席を設けさせ、過越しの食事を準備させられました。

そして、11節でイエス様は、残してゆく弟子たちの為に祈られます。イエス様は、もはや、この世に居られなくなり、父なる神様の御許に帰って行かれます。ですから、弟子たちは、イエス様の栄光を目の当たりに見ることができなくなります。

ですから、イエス様は、弟子たちのために祈られるのです、「聖なる父よ、わたしに与えて下さった御名によって、彼らを守って下さい。わたしたちのように、彼らもひとつとなるためです」と願われました。イエス様は、「父なる神様と、イエス様との一体関係の中に、弟子たちも含めて下さるように」と祈り願っているのです。イエス様は、父なる神様が、弟子たちに栄光を与えて下さることによって、「この世に残る弟子たちの一体性が、父なる神様とイエス様との一体性に含まれるものでありますように」と、祈っておられます。

この、イエス様の、世に残す弟子達の為の執り成しの祈りの中に、かつてネヘミヤが祈った、イスラエルの民への執り成しの祈りを見るのです。エルサレム神殿の再建は成りましたが、城壁は崩れたままで、異教の民が侵入してきます。そのような危険な状態にあるイスラエルの民の安全を祈りながら、ネヘミヤは、城壁の完成を急いだのです。そして、ネヘミヤの指導と、イスラエルの民の不屈の努力で、城壁は完成しました。
又、イエス様が天に帰られた後も、弟子達は結束して、聖霊に守られ伝道に励みました。私達も父なる神様とイエス様との一体性の中に含められていることを喜びつつ、畏れる事なく歩む者でありたいと願っています。

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