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救いの確信

救いの確信
大坪章美

ヨハネ黙示録 14 章 6-13 節

長老ヨハネは、自らを天上の世界に移して、ダビデの末裔、十字架につけられたメシアであるキリスト・イエスの、天上での即位の目撃者となります。これによって、「世界の終わりの始まり」即ち、神に敵対する、あらゆる勢力や軍勢に対する神の“裁き”が始まるのです。そして、一方で、神によって永遠の救いへと選ばれた者たちの、“救い”が始まるのです。

13:1節には、長老ヨハネが見た幻が記されています。そこには、「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た」と記されております。この、“獣”とは、ローマ帝国を表します。第一の獣がローマ帝国であり、この、第二の、地中から上って来る獣が、ローマ帝国の持つ全ての力を発揮するのです。第二の獣は、「先の獣が持っていた全ての権力を振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治った、あの、先の獣を拝ませた」と記されています。この、「致命的な傷が治った、あの、先の獣」というのが、キリスト教の敵、最大の悪、紀元68年に死んだ、皇帝ネロを指しています。この獣の像を拝まない者は、皆殺しにされました。然し、獣を拝む者には、その右手か額に、刻印を押されたのですその、刻印が、666でした。

果たして、キリスト者の未来に迫っている、という困難に、神の民は耐えることができるのかどうか。長老ヨハネが見た幻は、更に続きます。14:1節では、「また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に、十四万四千人の者たちが居て、その額には、小羊の名と、小羊の父の名が記されていた」と語られています。 

ここに、小羊、即ちキリスト・イエスが立って、これまでローマの権力による迫害の対象となっていた信徒たちに、救いと至福とが与えられるのです。

続いて、長老ヨハネは、3人の御使いの幻を見ます。人類全体の運命がどうなるのか、が示されるのです。まず、第一の御使いが大声で言ったというのです。「神を畏れ、その栄光を讃えなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」と、命令しました。人間は、創造主の前に置かれた自分に、目を向ける時に初めて、自分の罪を覚え、救いの必要なことを認めるのです。

そして今度は、第二の御使い、「滅亡を告げる御使い」が、長老ヨハネの見ている前に現れ、言いました。「倒れた、大バビロンが倒れた。怒りを招く、みだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませた、この都が」と、言ったのです。これは、ローマの滅亡の預言です。黙示録では、いつもローマを、バビロンと呼んでいます。

長老ヨハネが、なおも見ていますと、第二の御使いに続いて、第三の御使いが現れて、大声で、神の裁きの判決を告知します。9節にあります、「誰でも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、神の怒りのぶどう酒を飲む事になり、火と硫黄とで、苦しめられることになる」と、警告します。即ち、ローマの皇帝や、皇帝の像を拝んだ者たちは、偶像礼拝の罪で、神の怒りの杯を、飲まなければならない、と宣告しているのです。そして、この戦いに勝利する為に、黙示録では背教者達に対する裁きが、最も厳しいものになっています。一旦主イエスを受け入れ、信仰告白をしたキリスト教徒が、信仰を捨てて、他の神々を礼拝する場合には、背教者と見做されたのです。

そして、13節です。長老ヨハネが聞いた、天から告げる声は、慰めに溢れた約束の言葉でした。その声は、「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と」と語っていました。「主に結ばれて死ぬ人」とは、「終わりの日にも、なおキリストと共にいる人たち」という意味です。彼らは、終りの日にも、これからやって来る最後の時にも、主の御許に匿われているのです。この人たちには、休息が約束されています。彼らは、来るべき救いを確信することができます。何故ならば、その業は、彼らについて行くからです。

信仰者の行いは、墓を越えて、次の世まで、信仰と一体となって、ついて行きます。そして、天における喜びに入って行くのです。

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