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苦しみにまさる慰め

苦しみにまさる慰め
大坪章美

コリントの信徒への手紙二 1 章 3-11 節

パウロは、「慰めを豊かにくださる神が、ほめたたえられますように」と、祈っています。“慰め”は、“苦しみ”の中にある時にこそ、救いになります。

パウロは、福音を宣べ伝える以上、自分の苦しみを避けようという思いはありませんでした。「わたしの為、又、福音の為に命を失う者はそれを救うのだ」という、イエス様のお言葉を知っていたからであることは勿論ですが、もう一つ、パウロは自分で体験していたのです。パウロは、苦しみに遭う度に、“慰め”を受けていました。ひどい苦しみに遭っても、それに勝る、素晴らしい“慰め”を与えられていたのです。パウロの苦しみは、彼にとっては、「キリスト・イエスに仕える“証し”」であり「絶えず“慰め”を伴っていた」のです。

多くの人々は、苦しみに遭遇しますと、「神様は、私をお忘れになったのか。いや、もともと、神様は存在しなかったのか。そうでなければ、私がこれほど、苦しむ筈は無い」という、マイナス思考に陥りがちです。しかし、パウロにとっては、「苦しみに遭うこと」は、神への信仰を堅くすることに他ならなかったのです。

パウロがこのように、コリントの信徒への手紙二の本文の真っ先に、“苦しみ”や、“苦難”について語り始めていますのは、まさに、コリントの信徒たちが、「苦しみと苦難の中にある」からでありました。

パウロがエフェソからコリントへ第一の手紙を書いたのは、エフェソの教会を開拓伝道していた頃の事です。16:1節では、「聖なる者たちの募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなた方も実行しなさい。」と記しています。ところが、この募金活動がパウロとコリント教会との間を引き裂く程の、大問題に発展するのです。コリントの教会の中で、パウロが、イエス・キリストの使徒と名乗っている事への、その資格の有無を問う者が現れて、又、エルサレム教会への献金も、パウロが私腹を肥やす為に行っている、という中傷さえ出てきていました。パウロは、記録には出てきておりませんが、エフェソの港から直接、エーゲ海を東から西に進む船便で、コリントの教会を訪問して、誤解を解く為の最大限の努力をして、再びエフェソへ戻ったのですが、コリントの人々は、パウロを侮辱して追い返すという行動に出たのでした。

このような、コリントの信徒達の仕打ちに対して、パウロは、「涙ながらに書いた手紙」をテトスに託して、コリント教会に持たせたのです。その涙ながらの手紙が、今日お読み頂いた、コリントの信徒への手紙二の2:4節以下に含まれています。それは、「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」と書き始められています。そしてこの手紙を読んだコリント教会の信徒達は、自分達の傲慢さを後悔してパウロに謝罪したのでした。このような事の後に書かれたのが、今日お読み頂いた個所ですから、茲でパウロが記している、“苦しみ”や、“苦難”は、直接的には、パウロに対して取ったコリントの信徒達の敵対的な態度と、その悔い改めであった事が想像できます。

しかし、主なる神様は、パウロを、その苦しみの中に放置されることはありませんでした。コリントの信徒達の誤解を解いて下さり、このように、「和解の手紙」を認める迄に、回復させて下さったのです。これこそ、主なる神様から頂いた、“慰め”の結果に外なりません。

この、“慰め”とは、「わたし達の受ける苦しみを取り除いて下さること」ではありません。苦しみが、直ぐに過ぎ去る、といった事でもありません。パウロは、6節で言っています、「わたし達が悩み苦しむ時、それはあなた方の“慰め”と“救い”になります。また、わたし達が“慰められるとき”、それはあなた方の“慰め”になり、あなた方が、わたし達の苦しみと同じ苦しみに耐える事ができるのです」と記されています。

ここに、キリスト教共同体の救いの秘密があります。共同体の一人が慰められ、救われることは、他の教会員の一人が慰められ、救われる方法なのです。
パウロは、自分が受けた“苦しみ”と、“慰め”を通して、コリントの信徒たちが慰められることを断言しているのです。

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