過去の説教

世々限りなく生きる方

世々限りなく生きる方
大坪章美

ヨハネの黙示録 1 章 12-20 節

ヨハネの黙示録の1:1節の後半には、「この黙示は、直ぐにも起こる筈の事を、神がその僕達に示す為に、キリストにお与えになり、そして、キリストが、その天使を送って、僕ヨハネにお伝えになったものである」と記されています。10節には、「ある主の日のこと、私は“霊”に満たされていたが。後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。その声は、こう言った。『あなたの見ている事を巻き物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオデキヤの七つの教会に書き送れ』」、という長老ヨハネの言葉が記されています。ヨハネは、このラッパのように響く大声を聞いた時、その声の主を見ようとして振り向いて、ある独特の形を見ました。

長老ヨハネは、そこに、七つの教会の中央に、「人の子」のような方、即ち、キリストの御姿を見たのでした。然も、イエス様のお顔は、目も眩むほど、照り輝いていたのです。それを目にした時の長老ヨハネの衝撃は、どんなにか大きかったことでしょう。17節には、「わたしはその方を見ると、その足元に倒れて、死んだようになった」と記されています。

死んだように倒れていたヨハネは、イエス様に触れられて、たちまち命が流れ込みました。茲で、イエス様は、ヨハネに語りかけて、恐れを取り除くのですが、その時、ご自分が何者かを、紹介されるのです。「恐れるな、私は最初の者にして、最後の者。又、生きている者である」と言われました。イエス様は、続いて、ヨハネに語りかけられました、「一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」と告げられました。イエス様のお言葉には、重大な、二つの事が、告知されています。一つは、「私は最初にして、最後の者」というお言葉によって、キリスト・イエスが天地創造の初めから、歴史の支配者であることが宣言されています。また、もう一つは、「私はまた、生きている者である」というお言葉によって、復活された方である事が宣言されています。イエス様は、人間の中で、最初の復活者となられる事によって、死と陰府との戦いに勝利され、その鍵を奪い取られたのでした。それからというもの、キリスト・イエスが死者の世界を支配する方となられましたので、“死”というものは、キリストを信じる者にとっても、キリストの集会にとっても、何ら、恐怖を感じるものではなくなったのです。キリスト・イエスは、人々を、死と陰府に送る力と、そこから救い出す力を持っておられます。

イエス様は、長老ヨハネに命令されます。「さあ、見たことを、今あることを、今後、起ころうとしていることを書き留めよ」と言われました。ヨハネは、イエス様から、三つのことを書き留めるように命令されています。ひとつは、「ヨハネが見たこと」。ヨハネが、後ろの方で、ラッパのように響く大声を聞いて、振り向いたところ、七つの金の燭台が見えて、その中央に、人の子のような方、キリスト・イエスがおられた、というところから始まります。二つめは、「今、あること」。これの内容は、これから語られる、小アジアにある七つの教会宛ての手紙の内容を指しています。そして、三つめは、「今後、起ころうとしていること」。これは、これから、長老ヨハネが目にすることになる、これから繰り広げられてゆく未来の出来事を指しています。

そして、最後にイエス様は仰いました、20節です、「あなたは、わたしの右の手に、七つの星と、七つの金の燭台を見たが、それらの、秘められた意味は、こうだ。七つの星は、七つの教会の天使たち、七つの燭台は、七つの教会である」と、言われました。

七つの星は、七つの教会の御使いたちであると、言われています。そして、七つの燭台は、小アジアに存在する七つの教会のことです。教会は、まさに、燭台です。その光は、キリストであって、教会は、キリストを輝かせていくのです。わたし達の教会も、死と陰府に勝利されたキリスト・イエスを頭として、救いの計画を推し進められるイエス様にお従いする限り、この世に恐るべきものは存在しない、ということを信じて、歩み続ける者でありたいと思います。

アーカイブ