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神の秘儀

神の秘儀
大坪章美

ローマの信徒への手紙 11章 25-36節

パウロは、ローマの信徒たちに語り掛けています。25節です、「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように次のような秘められた計画を是非、知ってもらいたい」と言っています。「秘められた計画」とは、元の言葉では、「ミユステーリオン」で、「奥義」とか、「秘儀」という意味です。この神の奥義を、あなた方が知れば、異邦人であるあなたたちが、「神は、明らかに、ユダヤ人たちよりも、自分たち異邦人を愛し、救ってくださった。それは、神が、自分たちに神の国を継がせるために、ユダヤ人たちを締め出されたからだ」というような、思い上がった自惚れは出来ないようになる。と警告しているのです。

そして、パウロは、その、「神の奥義」について語りだします、「すなわち、一部のイスラエル人が、頑なになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして、全イスラエルが救われる、ということです」と言っています。ここで、パウロは、ローマの信徒たち異邦人と、彼らイスラエル人について、“かつて”と、“今”との関連で語ります。30節です、「あなたがたローマの信徒たちは、かつては神に不従順であったが、今は、彼らイスラエル人の福音に対する不従順のお蔭で、神の憐れみを受けている」と言っています。
つまり、「イスラエルは今、拒まれており、そして、異邦人が多く受け入れられている」ことを、認識しています。そして、今、この事実は、謎であり、矛盾であると考えています。そして、これを、聖書の光によって、新しく解釈し直すことにより、そこに隠されている神の救いの計画、即ち、神の秘儀を見出して、事実を解明しようと考えています。

ここまで来て、パウロは、ひとつの結論へと導かれます。「神は、すべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。」と記しました。主なる神様は、初めは、ローマの信徒達をはじめ、異邦人達を神への不服従に陥れられましたが、キリスト・イエスがメシアとして救いの御業を開始されると、今度はイスラエルの民を不服従の中に閉じ込められたのです。こうして、全ての人が、神への不従順に陥ったのです。然し、この、「神への不従順」の中にこそ、神の目的が貫かれているのです。このような現実が、或る期間続くのは、主なる神様がすべての人を憐れまれるために他ならないのです。

この神の秘儀については、パウロは以前にも口にしておりました。5:20節です。そこでは、「律法が入り込んできたのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みは、なおいっそう満ち溢れました」と、言っております。人は、律法のもとで、罪を数え上げられ、罪を宣告され、罪の淵に沈み込むしかありませんでした。律法による罪が増加したところでは、律法は何の解決も示せません。律法ができるのは、人間を、キリスト・イエスの満ち溢れる神の恵みにまで連れて行く事しか出来ないのです。罪が、死という手段を用いて人間を支配してきたように、神の恵みも、神の義によって人間を支配し、人間を永遠の命に至らしめるのだ、と言っています。そして、「私達の主、イエス・キリストを通して、永遠の命に導くのです」とありすように、この事を為し得るのは、私達の主、イエス・キリストをおいて、他にはありません。何故ならば、イエス様が、現在の神の義と、後の、命と支配との仲保者であるからなのです。

パウロは、イスラエル人の不従順と、異邦人の救いの先行に見られるイスラエルの暗い前途に、明るい光を見出したのです。最後は、神の憐れみが勝利するという、神の深遠な知恵と洞察を垣間見た喜びが、神への賛歌となって叫び出すのです。「あゝ、神の言と知恵と知識の、なんと深いことか」と、神を讃えています。

この、神に対する賛歌を、パウロは、「全てのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄が神に、永遠にありますように。アーメン」と、祈りの言葉で終えています。私たちも、この神のご計画の中に数えられていることを自覚して、希望をもって、今週も歩み通したいと願います。

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