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魂を安定させる錨

魂を安定させる錨
大坪章美

ヘブライ人への手紙 6章 9-20節

この手紙の読者たちの教会は、迫害の危機に襲われていたと思われます。そういう危機的な状況の中で、この手紙の著者は、先立ち行かれるキリスト・イエスをしっかりと見つめながら、望みと忍耐とをもって前進するように、との勧めをしていますので、そういう意味で、この手紙の読者たちは「地上を旅する、神の民」と呼ぶことができるのです。

著者は12節で、「あなた方が怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となって欲しい」と言っております。著者はこの手紙の読者たちに、「信仰と忍耐」によって神の約束を受け、特に、信仰者の父と呼ばれるに至った、アブラハムの模範に倣いなさい、と勧めているのです。

13節で著者は、「神は、アブラハムに約束する際に、ご自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、ご自身にかけて誓った」と、記しています。その誓いとは、創世記22:16節にありますように、「御使いは言った、『わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこのことを行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように、増やそう』」と言われたことを指しています。
そして、結局、アブラハムは約束の成就に至りました。このように、主なる神様がアブラハムに出された「イサクを捧げよ」という命令と対比させますと、“アブラハムの従順”がその行為の代わりに受け入れられて、神が、その約束を“誓い”をもって強めた時に、それは力を増すものとなりました。そのことが、15節において、「アブラハムは、根気よく待って、約束のものを得たのです」と記されています。

アブラハムの子孫とは、「アブラハムの信仰に倣う者すべて、」つまり、私たちキリスト者も、アブラハムの相続人なのです。ですから、アブラハムに対する約束の相続者は、肉による子孫とは異なっています。

著者は、この神のご計画の中に、「変えることの出来ない二つの事柄」を認識して、それによって、力強く励まされています。二つの事柄とは、第一に、“神の約束”、第二に“神の誓い”です。主なる神様は、約束の相続人として、「約束の希望」を求めて、救いに与ろうとしている私たちキリスト者に対して、神様は、この二重の基礎の上に、確実に達成されるのです。

第一の“神の約束”は、創世記12:1節以下に記された、「主はアブラハムに言われた。『あなたは、生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを、大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように』」という約束です。第二の“神の誓い”は、創世記22:16以下で主が誓われた、「わたしは、自らにかけて誓うと主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を、天の星のように、海辺の砂のように増やそう」と言う主の誓いです。この二つとも、変わることは無いので、著者は、「神が偽ることはあり得ない」と、言うことができたのです。

著者は、私たちが持っている、この希望を、“錨”、あの、舟からロープで海底に降ろす錨、に譬えています。19節では、「私たちが持っている、この希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです」と記しています。神によって保証された、私たちキリスト者の希望は、海底に降ろされた“錨”のように、浪間に漂う小舟のようなキリスト者の魂を鎖でしっかりと結び、キリスト者の魂が、雨や風、嵐によって漂流することから守ってくれるのです。どんな、波風が押し迫ろうとも、動揺することはないのです。

また、著者は、キリスト・イエスが至聖所の垂れ幕の内側に入って行かれ、メルキゼデクと同じような大祭司となられたと、語っています。キリスト者が約束された希望、アブラハムの子孫として相続する神の約束は、大祭司となられたキリスト・イエスと共に、幕の内側、つまり、神のご臨在の中にあるのです。

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