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恵みの約束

恵みの約束
大坪章美

使徒言行録 2章 36-40節

この日は、五旬祭の日、弟子たちは、「あなたがたは、間もなく、聖霊による洗礼を授けられる」というイエス様のお言葉を忠実に守って、エルサレムのとある家に集まっていました。すると「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」とあります。

旧約の時代、聖霊は、全ての民に注がれるものではなく、ただ、選ばれた指導者たちにだけ、与えられるものでした。そして、その与えられた期間も、一時的なもので、彼らが直面した危機が過ぎ去りますと、聖霊も離れて行ったのです。預言者ヨエルは、ヨエル書3:1節以下で、預言しています。「その後、わたしはすべての人に、わが霊を注ぐ。・・・その日、わたしは、奴隷となっている男女にも、わが霊を注ぐ」と語って、聖霊がわずかな指導者にだけではなく、すべての者に注がれる日を、期待したのです。この、果てしも無く長い間、待ち望まれてきた聖霊付与の旧約時代の願望が、今、五旬祭の日の朝、成就したのでした。

この聖霊の働きは、イエス様が預言されていました、使徒言行録1:8節です、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。わたしの証人となる」と、弟子達に話されていたのです。そして、イエス様のお言葉どおりの事が起きたのです。聖霊降臨のこの日まで、イエス様と同じガリラヤ出身の者である、と疑われるだけでも身の危険を感じて、ユダヤの指導者たちから逃げ回っていた弟子たちが、敢然と立ちあがって、伝道の業に邁進するのでした。この日のペトロも、同様に、聖霊の力によって強められた一人でした。並み居るユダヤ人やエルサレムの住人たちに向かって、弟子を代表して、説教を語り始めたのです。

ペトロは、キリスト・イエスの生涯の出来事を語りました。神様が、キリスト・イエスを通して行われた十字架の処刑と復活です。神様は、御子イエスの十字架による死を計画され、又、甦らせたと告げています。

ペトロは、この説教を終わるにあたり、「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架に付けて殺したイエスを、神は主とし、また、メシアとなさったのです。」と語って、彼の説教を締め括ったのです。このペトロの説教を聞いたユダヤ人達にとっては、まさしく青天の霹靂でした。
彼らは、ペトロの説教によって、自分たちユダヤ人が手を染めて、大罪を犯した罪を突き付けられたのです。

彼らは、慌てふためいて、叫びました、「兄弟達、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねたのです。真剣な面持ちで尋ねるユダヤ人たちに対して、ペトロは「悔い改めなさい。一人一人が、イエス・キリストの名によって、洗礼を受けなさい」と命令しました。
この命令、を為し得た者には、二つの約束が与えられています。ひとつは、「罪を赦していただくこと」、もうひとつが、「賜物として聖霊を受けること」です。

そしてペトロは、説教を聞いている多くのユダヤ人たちに向かって、重大なことを語り始めました。「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたし達の神である主が招いて下さる者なら誰にでも与えられているものなのです」と話したのです。これは、慰めに満ちた、保証の言葉でした。ペトロは、この約束を、空間的にも、時間的にも、普遍的なものと考えているのです。

その時に起きた聖霊降臨は、約束の成就のすべてではありませんでした。ペトロは言っています、「この約束は、わたしたちの神である主が招いて下さる者なら誰にでも与えられているものなのです」と語りました。あの、キリスト・イエスを十字架に架けて殺してしまったユダヤ人の群衆にも、遠くエルサレムを離れたディアスポラのユダヤ人にも、異邦人にも、そしてその時から二千年程も経過した今も、ペトロが語った約束、「悔い改めて洗礼を受けなさい。そうすれば罪が赦され、賜物としての聖霊が与えられます」という恵みの約束が、世界中の至るところで成就しているのです。私たちは、今週もこの“恵みの約束”に守られて平安に過ごすことが出来るのです。

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