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御霊に助けられ、祈る

御霊に助けられ、祈る
大坪章美

エフェソの信徒への手紙 6章 10-18節

パウロは、ここに来て、「最後に言う」と、前置きをします。これまで、キリスト者の信仰生活について語って来て、そして「最後に言う」と前置きして語るのは、「信仰が戦いである」ということなのです。

私たちが送っている信仰生活は、「キリスト・イエスを主と仰ぐ生活」です。然し、現実に、私たちが「キリスト・イエスを主と仰いで生活すること」に、相反する力が、私たちの内からも、外からも迫って来るのも事実です。これらの力と戦うことなしには、信仰生活はあり得ません。然し、私たちが、キリスト・イエスを主と仰ぎ、神に反するあらゆる力と戦うことを決意しても、一体どうやって戦えば良いのでしょう。

パウロはまず、「主に依り頼み、その偉大な力によって、強くなりなさい」と言っています。「私たちが強くされる」ということは、「キリスト・イエスが戦って下さる」ということに他ならないのです。

そして、パウロは、次に、具体的な指示を出します、「悪魔の策略に対抗して立つことが出来るように、神の武具を身に着けなさい」と命令しています。
悪魔は常に、人を誘惑し、罪を犯させようとします。
キリスト・イエスを信じる者は洗礼を受け、キリスト・イエスと共に、新しい命を生き始めています。今や、人間の罪は、律法違反ではなく、神が遣わされた、キリスト・イエスを否定することが最大の罪なのです。悪魔は、私達が神に背くように、巧妙に罠を仕掛けてきます。罪を犯す機会は、思っても見ない所に起きて来ます。その罪はどこから来るのか?と、考えざるを得ません。そして、その罪の根深さに気付いた時、私達は、何かの力が働いたのではないか、との思いに至ります。それが、悪魔の働きなのかも知れません。パウロはこれを、「悪魔の策略」と呼びます。そして、悪魔の策略に対抗し、打ち勝つ手段を知っているのです。「神の武具を身に着けなさい」と教えてくれています。

この戦いは、「私たちを罪に落そうとする悪魔」との戦いです。パウロはこれを、「私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊との戦い」と述べています。
私達は、この「霊的な力」と戦う為に、神の武具を身に着けるのです。そして、神の武具は、完全装備です。神の武具を身に着けた以上、勝利は決まっています。

罪との戦い方は、二通りあります。ひとつは、罪に負けない、つまり、誘惑に負けて、「罪を犯すことをしないこと」です。そして、もうひとつは、罪を唆す、「悪魔を滅ぼすこと」です。どちらも、キリスト・イエスによる救いによって、実現されます。

パウロは、真理と正義と平和の福音で、胸、腰、足を守った後、さらに、その上に、四つ目の武具、「信仰を盾として取りなさい」と命令します。文字通りに翻訳すれば、「信仰の盾を取りなさい」という意味になります。信仰の盾によって、如何なる剣も、鉾も受け止めて、身に傷を負うことがないのです。私達、救われた者は、「救いの力」によって守られています。ですから、私達の体で最も大切な頭を守る武具が、「救い」の兜なのです。最後にパウロは、「御霊の剣を取れ」と命じます。神様は、私達に代わって戦って下さいますが、それは、私たち人間の行為を通して働かれるのです。

最後に、パウロは、「祈りなさい」と命令します。神様が与えて下さる武具で身を守り、神様が私たちに代わって戦って下さることまで解き明かし、最後に、「霊に助けられて、祈りなさい」と言うのです。
パウロは、最初から、「主に依り頼み、その偉大な力によって、強くなりなさい」と、神に依り頼み、呼び求めています。どのような時にも、“霊に助けられて、祈り、願う”のです。そして、全てのキリスト者の為に、絶えず目を覚まして、根気よく祈り続けるのです。

主なる神様が、これ程信仰深く、救いを信じて、悪魔の誘惑を退けることが出来るように祈り求める諸教会のキリスト者の祈りに、答えられない筈はないのです。私たちも、この一週間、御霊に助けられて祈り、神の武具に身を守られて、平安に過ごすことができるのです。

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