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救い主誕生の由来

救い主誕生の由来
大坪章美

マタイによる福音書 1章 18-25節

マタイは、福音書の冒頭に、アブラハムに始まる、イエス・キリストに至るまでの系図を示しています。然し、マタイが記した、アブラハムに始まるダビデの子、イエス・キリストの系図は、連綿と続いてきた血筋による祝福の継承を、ここで終了させます。イエス・キリストには子孫を残さず、その祝福と救いの恵みは、ただ、御言葉と、聖霊によって、代々受け継がれて行くことになったからです。ここに、新しい契約の時代、つまり新約の時代が始まることを告げているのです。
今、この系図の最後の人物として、マリアの夫、ヨセフが、神の選びの対象とされました。そして、彼は、重大な課題を託されようとしていました。然もそれは、思いもかけないことでした。と、申しますのは、ヨセフの婚約者であるマリアが身籠ったという重大なことでした。ヨセフは驚きましたが、まず、姦淫の罪を思い浮かべたことでしょう。このことが公になると「町の門に引き出され、石で打ち殺されねばならない」ことになってしまいます。夫ヨセフは、律法を正しく守る人でしたから、一人、悩み抜いたことと思われます。そして、ヨセフは、重大な決断を迫られるのです。それは、19節に記されています、「夫、ヨセフは、正しい人であったので、マリアのことを表沙汰にするのを望まず、密かに縁を切ろうと決心した」と言うのです。

この、進退窮まった、崖っぷちに立たされたヨセフに、再び、思いがけないことが起こります。20節にありますように、主の天使が夢に現れて、「ダビデの子、ヨセフ。恐れず、妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は、聖霊によって宿ったのである」と告げたのでした。ヨセフは、幼い時からユダヤ教の教えの中で、育てられてきました。そして、ユダヤ教の伝統の中には、「乙女が身籠って子を産む」というような期待は、全く無かったのです。聖書の中にも、メシアが乙女から生まれる、という預言はありませんでした。然し、人間の力では証明できないことが、神の秘儀として現わされることがあるのです。

アレクサンダー大王の東方遠征の頃、ユダヤ教の聖書は、ヘブル語の聖書しかありませんでした。然し、大王の死後には、ユダヤ以外の国々、ギリシャや、マケドニア、アレクサンドリアなどに住み着いた大勢のユダヤ人が居ました。彼らは、ユダヤ人でありながら、ヘブル語やアラム語を話すことができず、ギリシャ語しか話せなかったのです。そこで、エジプトのプトレマイオス二世の命令で、ユダヤ12部族の代表72人が集められて、ヘブル語の聖書を、ギリシャ語に翻訳する大事業が始められたのでした。この結果、ギリシャ語版聖書は、紀元前100年頃には完成したのです。

そして、ギリシャ語版聖書のイザヤ書7:14節には、「見よ、乙女が身籠って男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」と書かれていました。

何という不思議、神の御業でありましょう。元の、ヘブル語聖書のイザヤ書7:14節では、「若い婦人が身籠って男の子を産む」という言葉だったのです。それが、ギリシャ語に翻訳された結果、「乙女が身籠って男の子を産む」という言葉に変わっていたのです。
マリアが乙女であるのに、男の子を身ごもったのは、この預言が成就したからに他なりません。ヨセフは、イエスを、自分の子として受け入れました。そして、このことによって、「アブラハムの子なる、ダビデの子、イエス・キリストの系図」、アブラハムに始まる、旧約以来の神の御業の連鎖が、最終的な到達点であるキリスト・イエスにまで、繋がったのです。

ヨセフの夢に現れた御使いは、「この子は、自分の民を救うから、イエスと名付けなさい」と告げました。また、イザヤは、「その名は、インマヌエル、“神、我らと共に居ます”」と預言しました。そして私達人間の罪を贖う為に、十字架上で死なれ、三日目に復活されたイエス様は、弟子達に言われました。マタイによる福音書の最後、28:20節です、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。今も、イエス様は私達と共にいて下さいます。今日は、そのイエス様のお誕生を記念する日です。共にお祝いしましょう。

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