過去の説教

神の御業によってを

神の御業によってを
大坪章美

ヘブライ人への手紙 13章 17-25節

ヘブライ人への手紙は、ローマの第11代皇帝ドミティアヌスの治世、紀元81年から90年頃の間に、ローマに住むギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者に宛てて書かれたものと言われています。7節では指導者たちについて述べています。そこには、「あなた方に神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい」と記されています。著者は、かつての指導者たちの生涯の終わりを思い出すように、という勧告をしています。かつての彼らの指導者たちが、まさにその死において、信仰の手本として示されるのは、その指導者たちが、殉教の死、例えば、皇帝ネロの迫害における死を味わったことを指しているのでありましょう。そして、このようなかつての指導者たちの生涯には終わりがありましたが、真の霊的指導者であるイエス・キリストの生涯には終わりが無いということを、8節で語っています。そこには、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に、変わることの無い方です」と記しています。指導者たちは、交代してゆくのです。然し、あの一人の指導者イエス・キリストだけは、変わることが無いと言っています。キリストが変わることなく同じであるのであれば、信仰も又同じなのです。

そして、17節です、いかにも唐突に見えますが、「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい」と勧めています。ここで言っている“指導者たち”とは、かつての指導者たちのことではなくて、現在の指導者たちのことですが、「現在の指導者たちの言うことを、無条件に聞き入れ、服従しなさい」と言っているのではありません。あくまでも、現在の指導者たちも、かつての指導者たちの信仰を受け継ぐから、その言うことを聞き入れ、服従しなさい、と言っているのです。現在の指導者たちも、ローマに居るキリスト者たちの魂の救いのために心を配っていると、教えています。

この手紙の著者自身も、このような現在の指導者に属している教師でした。ですから、続いて18節で、「わたしたちのために、祈って下さい」と、執り成しの祈りを求めています。そして、この著者は、これまで、自分のことを「わたしたち」と記してきましたが、ここで、一転して、「わたし」という、単数形に変えるのです。19節です、「どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈って下さい」と願っています。この言葉から、著者が、以前、ローマの読者たち、すなわちユダヤ人キリスト者の群れの中で、一緒に活動していた事情が浮かび上がって参ります。しかし、どうやら、著者自身の意志では、ローマの読者たちの集会には戻ることが出来ないような、何らかの障害が起きていたように思われるのです。その、障害と思われる中味については、分かりません。けれども、何らかの、迫害が関係しているのであろう、ということは言えるのです。著者が、どのような意味から、ローマの読者たちの群れに戻ろうとしているのか、を20節以下の祈りが表しています。著者は、この祈りで初めて、「わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神」と呼んで、イエス様の甦りについて記しています。主イエス・キリストを死者の中から復活させられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによって、私たちにして下さり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えて下さるように、と祈っているのです。

著者が、22節以下に記していますのは、現代、私達の認める手紙の、“追伸”に当る部分です。ここで、著者は、この手紙を「勧めの言葉」であると記しています。そして、実際に、そうであったことが、私達にも納得できるのです。決して、ローマのユダヤ人キリスト者の群れに宛てた講義でも、命令でもありませんでした。彼ら、読者達の意志に対して働きかけようとしていたのです。著者は、ユダヤ人キリスト者達が根強く持っている旧約聖書の信仰から説き起こして、力づけ、勧めの言葉を記したのです。私達はこのローマに居たであろうユダヤ人キリスト者の集会が、この後、この著者を受け入れて、更に力強く、イエス・キリストの福音を守り通したことを、心から信じたいのです。

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