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神は真実な方

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大坪章美

テサロニケの信徒への手紙二 3章 1-5節

今日お読み頂きましたテサロニケの信徒への手紙第二は、パウロが先に第一の手紙で書き送りました、「主の再臨」と、「主の日」についての教えの誤解や、依然として続いていたテサロニケの教会への迫害、そして、パウロの教えの誤解に基づく、教会の或る者たちの怠惰な生活などが、テモテを通してパウロの耳に届いたので、パウロは、これらの誤解を解くため、また誤った教えによる怠惰な生活を戒めるために、筆をとったのでした。ですから、第二の手紙の執筆時期も、第一の手紙からそれほど遠くなく、遅くとも紀元51年頃には書かれており、やはりその書かれた場所は、コリントに滞在中であったと言われています。

こうしてパウロは、主イエスの再臨の日、主の日、の誤解を解いた後、3:1節で、「終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください」とお願いをしています。そして、その祈りの課題が、次に記されています。ひとつは、「主の言葉が、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」という祈りです。また、もうひとつは、「わたしたちが、道に外れた悪人どもから逃れられるように」と祈って下さいという願いなのです。

「道に外れた悪人ども」と言いますのは、イエス・キリストの福音に反抗して、伝道者を害する積極的な悪人を指しています。この、“悪人”が、具体的には誰を指すかと申しますと、使徒言行録18:5節以下に記されています。そこには、「パウロはみ言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対して、メシアはイエスであることを力強く証しした。然し、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後わたしは異邦人の方へ行く』」と記されています。パウロは、自らが滞在していたコリントのユダヤ人たちを、“福音に反抗する、積極的な悪人ども”と、見ていたのでした。
この時パウロが、「今後、わたしは異邦人の方へ行く」と宣言しましたのは、ユダヤ人たちに、ねたみを起こさせるためであったのです。異邦人の救いの後には、ユダヤ人が救われる、つまり、イエス様の福音から漏れる人はいないのです。

パウロは、3:3節で、「しかし、主は真実な方です」と、あらためて語り出します。「しかし」という言葉で繋いでありますのは、彼らユダヤ人たちの不誠実さとは真反対に、「神は真実な方です」と語り出しているのです。人間は、そしてユダヤ人たちは、不誠実で欺きます。しかし主は真実であって、強いと言っています。主は信頼できる方であって、しかも、主に信頼する者に、その助けを感じさせることをなさる方なのです。パウロは、続けて、「必ずあなた方を強め、悪い者から守って下さいます」と、テサロニケの信徒たちを力づけています。

また3:4節でパウロが言っています、「わたしたちが命令することを、あなた方は現に実行しており、これからも、実行してくれることと主によって確信しています」と記しています。パウロの言葉、「わたしたちが命令すること」とは、6節以下で述べられることになる、「怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいる、すべての兄弟を退けなさい」という命令のことです。「キリストの再臨は、もう起こった」というような誤解に惑わされて、怠惰な生活に耽る者たちを退けなさい、と言っているのです。

そして、最後にパウロは、テサロニケの信徒達のために祈りを捧げています。5節です、「どうか、主が、あなたがたに神の愛と、キリストの忍耐とを深く悟らせて下さるように」。パウロは、結局のところ、全てを主に期待しているのです。「神の愛」とは、御ひとり子を賜ることにおいて示された主なる神様の愛を指しています。そして、「キリストの忍耐」とは、イエス・キリストが求め、またお授けになる、如何なる迫害にも耐える心です。イエス様が、苦難の中でも全き服従において示されたキリストの忍耐に通じるものです。この神の愛と、キリストの忍耐こそが、私達の、キリストの再臨を待ち望む生き方を励ますものになるのです。

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