過去の説教

豊かさの源、神

豊かさの源、神
大坪章美

ヨハネによる福音書 1章 14-18節

詩編65篇が歌われた背景には、当時のイスラエルの農業の実態があります。旱魃が訪れ、畑の作物の成長に関しての大きな不安に脅え、場合によっては飢饉に苦しむ恐れがありました。このような中で、今や、祈りが聞かれたのです。旱魃で干上がり、乾燥し切った草原が緑なす牧場となり、新芽の萌える畑に変化したのです。イスラエルの民は、旱魃の危機に脅えていた頃に、主なる神様に願い約束したことを果たすために、エルサレム神殿に集まってきて、感謝の供え物を捧げる祭儀を行うのです。この詩編65篇は、その祭儀の中で歌われたのです。2節からは神を礼拝し、神との交わりに入る者の幸いが語られています。「あなたに賛美はふさわしい」と歌っているのです。

次に、「祈りを聞いてくださる神よ、すべての肉なる者は、あなたのもとに来ます」と歌っています。主なる神様が、祈りを聞いて下さるからなのです。10節では、「あなたは地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の水路は、水を満々とたたえています。あなたはこのようにして、畑の下ごしらえをしてくださり、彼らに穀物を作ってくださいます」と、神様を讃えています。このような祝福の描写は、春の衣裳を纏ったパレスティナの風土が背景にあると言われます。かつて、古い時代には、秋に祝われていた新年祭が、ヨシヤ王の治世のもとで1年の初めを春に移してから行われたと考えられています。ヨシヤ王と申しますと、南王国ユダの第16代の国王で、紀元前640年から31年間、ユダを治めた王でした。従いまして、この詩編65篇が成立しましたのも、バビロン捕囚の前であったと、考えられています。

イエス様の12弟子のひとりでありましたゼベダイの子ヨハネが、今日、ヨハネによる福音書と呼ばれている書物を著したのは、紀元後90年頃でした。ヨハネは、その1:1節で、「初めに言葉があった」と記しています。“ことば”つまり、“ロゴス”の存在は、すべての時と、世とに先立っているのです。14節で、ヨハネは、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と強調しています。ヨハネは、ロゴスが「肉」となったこと、つまり、それまでの神の身分とは正反対の姿をとられたということを、誰にでも分かるように説いているのです。ヨハネは、ロゴスが神の子となったということ、そしてそれは、「恵みと真理とに満ちていた」と、言っています。そして、「わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けた」と語っています。言い換えますと、「わたしたちは、イエス・キリストの中に充満する恵みを認めた。何故なら、わたしたちは、彼から、恵みに恵みを受け取ったからである」という意味になります。「恵みの上に、更に恵みを受けた」と、二重の恵みが記されておりますが、最初の“恵み”は、「神様から贈られた永遠の命」という恵みのことです。そして、2度目の“恵み”は、同じように、「神様から贈られた信仰」という恵みを、指しています。ヨハネは、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる、独り子である神、この方が神を示されたのである」と、記しています。イエス様は、地上に降ることによって、天に居ることをやめられたのではありません。それは、「肉」によってではなく、言、つまりロゴスによってそういうことが言えるのです。

詩編65篇の詩人は、神に収穫を感謝して、賛美の歌を捧げました、「あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます」と祈りました。神様は、旱魃の時にも日照りの時にも、豊かな雨を注がれました。神様は、イスラエルの人々にとって、大切な水の「源」でした。
一方、福音書記者ヨハネは、「わたしたちは、イエス・キリストの満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」と証しています。イエス様は、父なる神が水の源であられたように、人間にとって溢れるばかりの恵みに満たされています。私たちは、恵みの上に、更に恵みを増し加えられ、イエス・キリストとの交わりの中に生きることができるのです。

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