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未来を照らす光

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大坪章美

ペトロの手紙二 1章16-21節

詩編119編は、紀元前2世紀のマカベヤ時代に書かれました。当時、シリアの王、エピファネス4世はユダヤのギリシャ化を図って律法を禁止し、律法を捨てる者には報奨金を与え、あくまでも律法を守り通す者には、厳罰で臨んだのでした。この詩人は、「今こそあなたが介入なさるべき時です」と主に願っているのです。そしてこのような中でも、「私はあなたの掟を守ります」と信仰告白をしています。この信仰の固さは、救われた者だけが持ちうる強さだと言えるでしょう。

147節では、詩人は、「夜明けに先立ち、助けを求めて叫びます」と祈っています。暁の東の空に、明けの明星が昇るまでの薄明かりのとき、つまり、夜明けの前に助けを求めて叫ぶと、言っています。そして、主なる神様の御言葉を待ち望むのです。148節では、詩人は、「わたしの目は夜警に先立ち、あなたの仰せに心を砕きます」と祈っています。詩人は、夜警が見張りをする時にも勝って、注意深く神の律法を守ろうとしたと、言いたいのです。詩人は終りに歌います、152節です。「あなたの定めを見て、わたしは悟ります。それがいにしえからのものであり、あなたによってとこしえに立てられてのだ。と」と歌うのです。主なる神の言葉は、一時的に信実なだけではなく、永久に変わることなく留まる、ということを歌っているのです。

詩編119篇が書かれたマカバイ時代からは、およそ300年も後の時代の紀元150年頃、おそらく小アジアのどこかで、ペトロの手紙二は書かれました。

16節で、ペトロは、イエス・キリストが再び来たりたもう約束について、歴史的事実に立っていることを明確に宣言します、16節です、「わたしたちの主、イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは、巧みな作り話を用いたわけではありません」と力強く言っています。そして、ペトロ自身が、ヤコブ、ヨハネと一緒に居たときに目撃した、イエス様の地上の生涯の或る事件を語り出すのです。17節です、「荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者。』というような声があった」と述べています。イエス様が聖なる山の上で、栄光をお受けになった出来事は、終末の時のイエス様の再臨を預言する書物として、旧約聖書を読むことの正しさを、はっきりと示してくれたのです。19節でペトロは、「わたしたちには、預言の言葉は、いっそう確かなものとなっています」と記しています。ペトロが言いたかったのは、「自分が目撃した聖なる山の出来事よりも、さらに確かな預言を持っている」ということです。

ペトロは、「夜が明け、明けの明星があなた方の心の中に昇る時まで、暗いところに輝くともし火として、どうか、この予言の言葉に留意していて下さい」と小アジアのキリスト者に注意を促しています。ここで、ペトロが語っている“明けの明星”とは、民数記24:17節に関連付けられています。そこには、「わたしには彼が見える。しかし今はいない。彼を仰いでいる。しかし間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る」という、占い師バラムの託宣が記されています。この預言は既にユダヤ教に於て、メシアと結びつけて考えられていました。キリスト教ではイエス様の誕生の預言と見做していますが、同時にペトロはキリストの再臨の預言として、明けの明星に譬えていたのです。

詩編119篇の詩人は祈りました、明けの明星が昇るまでの薄明かりの時、夜明けに先立って助けを求め、神様の御言葉を待ち望んでいますと祈りました。詩人は神様が約束を守ることにおいて信実を通されるということを確信していました。この明けの明星が昇る時までの預言の言葉について、ペトロもキリスト者に対して手紙を書きました。明けの明星が昇る時まで、今の時代を、預言の言葉を信頼して歩むように勧めているのです。預言は、未来を照らす光であると勧めるのです。明けの明星が昇る時、その時こそイエス・キリストが再び来られる時なのです。この時、神による最後の救いが現れキリスト者は御国にいれられるのです。
私たちも、この混沌とした時代を、神の約束に耳を傾けて歩むものになりたいと思うのです。

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